2015年12月29日火曜日

先領一杯,另一杯寄杯(先に一杯もらって、もう一杯は取り置きします)

あと数日で今年も終わる。
台湾では旧暦で新年を祝うので、日本のような師走感はまったくない(その代わり、旧暦の新年前は日本の師走のような感じになるのだけど)。でも、今年も終わるのだなーと、日本人の私は不思議な気分になる。

クリスマスも日本と同じような感じで、クリスマスツリーがデパートのような所に飾られたりするのだけれど、別に宗教的なものではなくて、単なるお祭りのようなものである。

こんな感じのクリスマスツリーがどーんとあって、日本みたい

私はといえば、通っている大学で台湾人の男子学生に誘われて食事をし(親子ほど年が離れているので、特別な関係というわけではない。いつか書こうと思っているけど、台湾の男性というのは、びっくりするほど女性に対して優しい人が多い。もしも私が若かったら、何度恋に落ちたことかとw)、彼の家でくだらない動画などを見て、ダラダラしていた。こんな年でこんなことしてていいのかなーと思うけど、終わりはくるのだとはっきり言って思いたくなくなるくらいに心地いいというのも事実だ。

仕事も病気も全部忘れて、この地でずっと暮らせればいいのにと、思わずにはいられない。

今年の更新はこれが最後になりそうだ。何よりも、私自身の変化が大きかった年だったと思う。これも乳がんになったからなのかなとも思うが、人生の大きな節目となったことは事実だ。

生活の場を移すことになり、なかなか更新をすることができなかったけれども、それでも、ここを見つけてくださり、さらに読んでくださった方々に感謝しております。
メッセージをくださった方も、本当にありがとうございました。

来年も皆さんにとって良き日々、明日を迎えられる日々が続きますように!
良いお年をお迎えくださいませ。

以降はどうでもいい台湾話なので、続きは読みたい方だけどうぞ。



2015年11月23日月曜日

快要搬來台灣住半年了(台湾にきてもうすぐ半年)

11月ももう終わるが、台湾にきてもうすぐ半年が経つ。

悲しいことに、中国語は進歩せず、本当にこのままだとまずいと思いつつ、ほんの少しずつ会話が成り立つようになってはいるものの、進歩をあまり感じられないのが悲しい。先が思いやられるが、終わりもあるので、いったいどこまでたどり着けるのか、年をとってから語学を勉強することの難しさに直面している。

今週は実質二泊三日という、温泉旅行かというような日程で日本に帰国し、術後2年半の検査を受けてきた。エコーは特に問題なく、血液検査も問題がある場合だけ電話で連絡をするとのことで、たぶん、問題はないはず。というか、問題があったら、ここからまた帰らねばならぬので、できればそれは避けたいところ。

日本では一連の報道などで、乳がん検診を受ける患者さんが増えているとのこと。喜ばしいことなのだろうが、すでに乳がんになった私にとっては、今更 ……というのが正直な感想だ。ただ、一人でも多くの人が、命が助かる状態で乳がんが見つかるということは良いと思っている。とはいっても、がんになるというのはやはり大事(おおごと)なので、見つからないことが一番よいのだけど。

先週末は兄夫婦が台湾にプレミア12という、野球の試合を見に来ていたので(兄夫婦はスワローズの異常なファン)、週末だけ台北に行き、役に立たない(笑)お供をしてきた。とりあえず、マンゴーかき氷食べて、小籠包食べて、野球を一緒に見に行ったのだが、私が週明けに期末テストが控えてて、急いで住んでいる街に急いで帰り、テストを受けて、そのまま帰国、みたいな感じで。


とりあえず、マンゴーかき氷。夏だともっと美味しいお店がいくつもあるんだけど、今の時期はね〜という感じ。でも定番だし!


小籠包も、かの有名な鼎泰豐は激混みで(本当は座れる時間帯を知っているにも関わらず、私の怠惰すぎる寝起きのせいで、行けなかった)、近所の庶民的で値段相応に美味しいお店に行った。写真はエビシュウマイ。


プレミア12の舞台となった台湾の野球場は、交通の便が悪いところが多く、ここも例に漏れず。あまりの不便さに兄夫婦はビビってたけど、私にとっては台湾らしいというかなんというか……。ま、こんなもんでしょう(笑)。

現場からは、以上です。

2015年10月31日土曜日

不擅長背單字(単語を覚えるのが苦手)

気がつけばもう明日から11月だ。
来月はまた、日本に一時帰国するのだが、今回は本当に時間がないので、医者通いだけで終わってしまうことになりそうだ。

相変わらず、記憶力の悪さにはウンザリしているのだが、本当に単語が覚えられず、毎日何度も繰り返して同じことをやっている。他のクラスメイトはさくっと覚えられるようだが、ほとんどが私の半分以下の年齢なので、記憶力もそんな感じなのかもしれない。

よくよく考えてみると、自分が彼らと同じぐらいの年齢の時に、やはり外国で勉強をしていたのだが、その時に覚えたことというのは、今でも忘れていないことが少なくない。そして、実際に未だ役に立つ機会も多い。そう考えると、今記憶しようとしていることは、果たして定着してくれるのか、はなはだ疑問。

来月は日本に帰国するのに加え、こちらでちょっとした仕事をすることになりそうなので、台北に打ち合わせにも行く。あと、兄夫婦がやってくるのと、さらに友人と旅行もするので、なんだか忙しい月になりそうだ。

しかし、中国語は上達しているのか、していないのか、自分でもよくわからない。ただ、たまに会話の中で知ってる単語が拾えると、うれしかったりするけど、全体で何を言っているのかを把握するのはまだまだ難しい。

先日は住んでいる街から車で1時間ほど離れた街に遊びに行った。台湾原住民の1つである、客家(「はっか」または「くぅじぃぁ」みたいな感じ)の人たちが多い街で、話されている言葉も方言だったりする。知人の案内があったので、色々といわゆる観光をしてみた。

台湾では、廃駅が観光地化されているケースが結構あるのだが、ここにもやはりあり。線路の上に立つという体験は何度しても面白い。

現場からは、以上です。

2015年10月19日月曜日

大多数に入るということ

LH-RHアゴニストの最後の注射は今年の5月末だった。
その効果が3ヶ月だとして、効果のキャリーオーバーはどれくらいなんだろうか?

とりあえず、今のところ、生理は戻ってこない。一応、半年生理が来ないというのが閉経の定義らしいけれども、薬剤の効果がどれだけあって、どの時点から生理が来ていないとカウントすればよいのかがわからない。

乳がんと診断された際に、恐らく私の年齢だと、治療によって7割が閉経することになるという話をされた。

私が発病した年齢で乳がんになるのは全体の数パーセント。そして、組織型も全体の数パーセントとなる特殊型。だったら、生理だって少ない方に入ったっていいじゃないかと、勝手に思ってみたけれども、これだけは大多数に入りそうな気がする。

相変わらず、ホットフラッシュと足と手のこわばりはあるので、更年期症状は続いている。不眠は眠剤でしのいでいる。集中力の低下も、ある程度薬剤と環境調整で緩和できている。

そして、この不安はなんなんだろう。


2015年10月12日月曜日

粉紅絲帶(ピンクリボン)

気がつけば10月になっていた 。
本当に月日が経つのは早すぎて、きっとあっという間に来年がやってくるのだろう。
また新しいことをちょっと始めたいと思っていて、その用意をしていたら、いつのまにやらこんなに時間が過ぎてしまっていた。

相変わらず、特別なことはない日々を過ごしているのだが、やっとほんの少しだけ、中国語に慣れてきたかも、と思う時があるようになってきた。でも、まだまだやっぱりよくわからないことの方が多くて、先が思いやられるのだけど。

今月は、ピンクリボン月間。中文では粉紅絲帶(ふぇんふぉんすーだい、みたいな発音)と言う。台湾でも活動は行われているみたいだけれど、それほど大掛かりなものは見かけない。ちなみに、乳がんはまったく同じ漢字が使われるんだけど(がんそのものは「癌症」と言う。発音はあぃづぇん、みたいなかんじ)、乳癌の発音は「るぅあぃ」みたいな音で、がんなのに、全然「ガーン」って感じはせず(笑)、むしろ日本人の私が聞くとちょっと可愛い音だ。中国語話者からすれば、「ガーン」みたいな感じがあるのかもしれないけど。

今週末は台湾は金曜日から三連休だった。今日は夕方、言語交換をしているパートナーから突然連絡があり、彼の両親が来て、私の分も夕食を作ったので食べに来いと、あまりにも唐突すぎる誘いに意味がわからんと首をかしげながら行ったところ、今日はパートナーの誕生日でもあった。そんな日に一緒に夕食をいただけたことは、とてもうれしかった。あ、ちなみに、彼は彼女と同棲しているので、何の心配もない(←何の心配だw)。

ご両親に会ったのは実は2度目なのだが、山のように食べ物のお土産を持たされそうになるのを断るのが大変で、「結構です、結構です、ほんとうっっに結構です」ぐらいの勢いで中国語で断らないと大変なことになる。とても良い方達で、私が外国人で、一人暮らしだからまともな食事をしていないだろうと、心配してくださっているのはわかるのだが、いらないものはいらないし、渡されるのは、絶対に私一人で食べきれる量ではないので、持って帰ってきてしまうと、消費できないのだ。

ただ、こうやって台湾の親切の押し売りに会うたびに、この国というか、人というか、とにかく、日本では絶対にありえない懐の深さを感じることは確かだ。やっぱり、ここに来てよかったと素直に思える、そんな自分も不思議なんだけど。

現場からは、以上です。

2015年9月26日土曜日

沒什麼特別的日子(特別なことがない日)

気がつけば、9月ももうすぐ終わり。
特に書くことがないし、特別なことがない日々を過ごしているので、更新する気になかなかならず。

日本では、芸能界で活躍されている方で乳がんが発覚し、全摘手術を受けられたというニュースと、まったく違うがんが原因でお亡くなりになられた方のニュースがあるのは知っているけれど、それに関して大きく心が動くということはなかった。

もちろん、同じ病になった方のこれからは大変だろうとも思うし、お亡くなりになった方はまだ年齢もお若く、残念だとは思う。でも、こうやってメディアに出てくる話というのは、日本、ひいては世界で起きていることのほんの一角であって、こうも文章を書いている間にも同じような出来事はそこかしこで起きているのだ。同じように乳がんを告知されている人がいて、同じようにがんでお亡くなりになっている人がいる。そう思うと、あれこれ騒ぐこと自体がどうでもいいのではないかと感じてしまう。

だんだんと当事者という役割から経験者という役割に移行しているのかなとは思うけれど、誰が乳がんになった、ではなくて、乳がんという病気そのものに対しての興味は、まだ薄れていないような気がするんだけど。

9月28日は「中秋節(じょんじょぅじぃぇ、みたいな発音)」。台湾では、日本語で言う中秋の名月を「中秋節」と呼び、なぜか路上でBBQをする(これは誰に聞いてもなぜやるのかがよくわからないのだが、とりあえず、路上でみなBBQをするのだ)。あとは柚子(日本では文旦と呼ばれるの果物で、いわゆる柚子ではない)を食べ、月餅を贈り合う。

特にこちらでは、仕事などをしているわけではないので、月餅はいくつか頂きなんとか食べ終わったと思ったら、なぜか柚子をもらう機会もなんどかあり、一人で5つぐらい食べることになってしまった。一個が結構大きいので食べでがある。手で持ってみると、結構大きいことがわかってもらえると思う。

明日は台湾の友達の実家がある高雄に一緒に行くのだが、やっぱりBBQなのかなーと思いつつ、月を見るという行為自体久しぶりなので、ちょっと 楽しみにしている。

現場からは、以上です。

2015年9月10日木曜日

浮かぶ、浮かんでいる、浮かべる

以前、こちらに来てから始めたことがあって、とちょっと書いたのですが、それはいくつかあるものの、一番大きいのは日本語を教えるようになったということです。

正式に教師として教えているわけではなく、こちらに来てから知り合った台湾人に対してなのですが。言語の練習方法の1つとして、「語言交換(日本語では言語交換、language exchange)」と呼ばれるものがあります。お互いに言葉を教えあう、ということなのですが、私の場合は日本語を勉強している台湾人と会って、私は相手に日本語を教え、相手は私に中国語を教えてくれるということです。

学校と違って、より生活に密着した言葉を学ぶチャンスなので、なるべく活用していきたいところ。もともとの台湾の友達が探してくれたのですが、募集をしたところ、台北などという都会でもないのに、十数人も集まり、こんなに日本語を勉強したい人がいるのかと、ちょっとびっくりしました。その中から3人に絞ってはじめたところ、いろいろな理由で2人がドロップアウトし(笑)、なんと1人だけになってしまったのですが、その相手との相性が良いようで、今では彼(語言交換の相手は男性)の彼女も交えて食事にも行くようになってしまいました。

彼の場合は、すでに1年半ほどの日本語学習経験があるので、日本語だけでの会話は成り立つのと、単に日本語の勉強がしたいだけではなく、来年の春から日本に留学する予定なので、私に対する日本語の質問もかなり具体的です。私も彼から中国語を教えてもらってはいるものの、状況的に彼の日本語能力の向上を優先する必要があると思い、その結果かなり突っ込んだ日本語の説明をせざるを得なくなりました。

その1つに「浮かぶ」「浮かんでいる」「浮かべる」の違いが知りたいというのがありました。いろいろ悩んだ結果、以下のような絵を描いて説明することに……。




水の上にボールが3つあって、それぞれは……
「浮かぶ」=ボールが「沈む」状態から上に出た状態になること
「浮かんでいる」=ボールが水の上に出ている状態にあること
「浮かべる」=水の外からボールを入れて水の上に出ている状態にすること

と、自分でも説明しながら、思わず、なるほど!と唸ってしまいました(笑)。

私は細かい日本語文法はよくわからないのですが(日本語教師ではないので)、日本語の単語の使い方に関しての説明が楽しいと感じています。その理由は、ずっと文章に関連した仕事を20年近くやってきたからというバックグラウンドがあるからなのか、人の文章を死ぬほど見てきたからなのか、いずれにせよ、外国人に日本語を説明するというのは、なんだか面白い。

彼の場合は文法は一通り終わっているので、初歩から教える必要はないものの、細かい日本語のニュアンスや「相槌」のうちかた(←これは私も聞かれてびっくりしたwんですが、中国語ではあまり相槌というのがないらしいのです)、返事のしかた、メール文章の添削など、今までの自分の経験を活かせる質問をしてくれるので、今一度、自分が使っている言語を振り返ることになり、結果として自分にとっても勉強になるよい機会です(そして、彼にとっての中国語も私と同じように感じているようです)。

「真剣」と「真面目」の違いであったり、「話す」「語る」「喋る」「言葉を交わす」の違いであったりと、日本人であれば、明らかに意味が違うとわかって使い分けているものの、いざ単語の説明をすることになると本当に難しいのですが、日本語の持つ曖昧さと奥深さを感じる日々です。

などと言いつつも、中国語ももっとがんばらないと!

現場からは、以上です。

2015年9月8日火曜日

拜託你喜歡我,好不好?(僕のこと、好きになってくれないかな?)

週末は友人と音楽のフェスにでかけ、その帰りにライブを見て帰ってきた。帰り道にちょうどそのライブハウスがあるという、ラッキーなのかなんなのか、という感じで。

見に行ったのは台湾のバンドで、兄がギター&ボーカル、妹がフルート&ボーカルという珍しい編成。最初に見たのは4年ぐらい前だから、意外と長く続いているような気がする。

あまりblogには書いてこなかったけど、私の趣味の一つは音楽で、台湾にもいくつか好きなバンドがあって、そのうちの1つ。たまたま住んでいる街にやってきたのだ。ライブ自体はこじんまりとしていたものの(台湾でもそんなに有名ではないので)、以前よりも演奏も歌も、よくなっていたように思う。

バンド名の來吧!焙焙!は「らいばべいべい」みたいな読みで、come on! baby!に引っ掛けているのだと思うが(來吧!(らいば)というのはcome on!という意味)覚えやすくていい名前。焙焙というのは、兄と妹の名前の一文字を使っている。そして、台湾でスマッシュヒット的に聴かれた「全世界我喜歡你(可是你都不知道)」は、もう6年前の歌だった。今聴いてもポップで可愛い歌だと思うけど、今回のライブでは残念ながらやらなかったなー。




ライブも楽しい感じでよかった。
なんか、本当に台湾blogになっちゃってるんですが、これからももしければたまに覗いてみてください。

現場からは、以上です。

2015年9月5日土曜日

不知道什麼時候把中文可以說好呢(いつになったら中国語が上手に話せるようになるのかわからないなぁ)

慌ただしい一時帰国が終わり、また台湾に戻りました。
帰国中は病院に行ったり、壊れたiPhoneを直したり(すごい高かった!)、銀行に行ったりと、復習をしようと思っていたのに、まったくできず、まずいなと思いつつ、また台湾では学校に通う日々を過ごしています。

今回の帰国の際には、また台風が直撃しそうになり(でもしなかった!)、帰り際は前日に「気をつけて帰るように」、当日朝に「空港に行くバスにはちゃんと乗ったのか?」、空港に着いたら「無事空港に着いたのか?」と、なぜか異常に心配性(?)な台湾人の友達3人からそれぞれ親切の押し売り(またもや)を受けながらの一時帰国で、その後も「無事日本に着いたのか?」台湾に帰れば「台湾に戻ったのか?」「学校のクラスメイトに可愛い子はいるか?(←笑)」「授業に着いていけてるのか?」と畳み掛けるように連絡が途切れないのが本当に面白いです。なんで日本人のおばちゃんをこんなに心配してくれるのか、本当に謎なのですが、心配をしてくれる人がいるということは、とても幸せ。台湾に来てよかったと思うことの1つです。

こちらに来てからちょっと始めたことがあるのですが、それはまた次回にでも。


とりあえず、お元気です!(これは、飲み物のカップに書いてある怪しい日本語。「お元気です」って、普通言いませんよね〜)


現場からは、以上です。

2015年8月15日土曜日

颱風來了(台風がやってきた)


なんだか思ったよりも、毎日過ぎるのが早くて、気がつくと1日が終わってしまう。はて、自分は病気なんだっけと思うと、もうそんなことはどうでもいいのかも、という気持ちにもなる。

ただ、今の身分というのは、終わりがあって、再び戻るべき場所があるものの、多分長々とそこにいることはないような気もしつつ、とはいっても、何かをしないと生きていけないわけでもあるので、そういうことを考えると結構絶望的になるのでなるべく考えないようにはしてるんだけど。

この歳で、こんなことしてていいのかな、と思いつつ、もう、始めちゃったので、なんとか、自分が目指す場所にたどり着きたいとも思う。ああ、やっぱり私は適当な人間ですな!

さて、前置きというか、愚痴が長くなりましたが、本題を。日本でもニュースになったようなのですが、先週末は台風が台湾を直撃しました。私の家の被害は、テレビがしばらく映らなくなったことと、短時間の停電でした。

台湾では、以前台風の直撃にあったことがあり、飛行機がキャンセルになって大変だったんですが、今住む街では初めての経験で、しかも住んでるわけなのです。

そんな私を心配してか、友人、知人からは、何かあったら連絡しろだの、遠慮するなだの、カップラーメン買っておけだの、ろうそく用意しろだの、窓ガラスにガムテープ貼れだの、もはや台湾名物ともいえる親切の押し売り(良い意味です)を沢山頂きました。心配してもらえるのは、本当にありがたいことです。

風が強くなったのに気がつかず、窓にかけておいたタオルが吹っ飛んで行ったのですが、なぜか家の入り口にメモと一緒に下げてありましたw

(誰かのタオルが12:40に裏庭に落ちてました)

いやいや、ありがとうございます!

現場からは、以上です。

2015年8月3日月曜日

搬來台灣住一個月了(台湾に来てから一ヶ月たちました)

気がついたら、台湾に来てから1ヶ月がたっていた。
中国語は絶望的に上達してないんですが(本当にこのままだとマズイ!)、いろいろと面白い出会いもあったりして、周りの人にいつも助けてもらいながら、のんびりと過ごす日々。

今月は一度日本に帰る予定で、クリニックと会社めぐり(笑)をして、また台湾に戻る予定。

今週末は久しぶりに台北に。
私が普段住んでいるのは、三大都市のうちの一つなものの、台北ではない場所なので、おお、都会に行くんだね〜と友人と舞い上がりながら上北(大して時間もかからないんだけど)。数人の友達(そのうち一組の夫婦は2日前に新婚旅行から帰ってきたばかり)と、なぜか、OK GOのライブを見に行ってしまった。なんか、PVはいつもおもしろいなーと思っていんだけど、ライブも意外と(意外と?)よかった。その後、台北の親友カップルと夜食(こちらでは普通)をどっさり食べて、一晩泊まってから戻ってきた。


they never let us down, highly creative stage!

実は、こちらでの知り合いが全員台湾人だということに、唖然としている今日この頃。部屋の保証人も台湾人になってもらってしまった ……。台北には、思わず日本人に話しかけたくなってしまうぐらい日本人が沢山いて、うーん、なんか今住んでいるところとは全然違う。でも、今住んでいる場所は、わざわざ選んで住んでいる場所なので、自分でもとても気に入っている。

現場からは、以上です

2015年7月19日日曜日

乳がんです。と言われたら:番外編の続き

前に、「乳がんです。と言われたら」というタイトルで、治療を受けながら、告知の受け方、情報の集め方、病院の選び方、治療費の考え方みたいなものを、自分の経た道筋を辿りながら書いてみました。

その後、ちょこっと番外編として、個人的に妊娠/出産に関してと、検診の妥当性みたいなものについて加えていました。すでにホルモン療法はスタートしており、その治療がどういうものなのかはわかっていましたが、自分にどんな影響を与えるものなのかを深く考えていたということはありませんでした。仕事にも戻って、前と同じように働いていた時期です。

早いもので、乳がんと告知されてから約2年半たったというのもあり、今一度、ホルモン療法の折り返し地点として(本当はまだ3年近く残っているのですが)、思うことを書いてみようかと。

「私」にもフォーカスを

乳がんと診断され、初期治療を始めた当時は、病気そのものに対してフォーカスを当てて考えていました。乳がんとはどういう病気なのか、どんな治療が行われるのかといった、病気になったのは私で、私に対して行われる行為でもあるのですが、乳がんの治療やそのものについて、自分で調べたり、考えたりしていたのです。

その理由として、前にもちょっと書きましたが「乳がんになっても私は何も変わらない」と思いたかったというのがあります。病気とは自分なりに向き合うことで、乗り越えられるとみなしていました。妊娠が難しくなるといったことに関してはもちろんショックでしたし、自分の発病した微妙な年齢についても書きましたが、今行っている治療が自分に何を及ぼすことになるのかということについては、きちんと考えていませんでした。

治療として行っていることの副作用に関して、自覚がなかったわけではありません。ただ、前にも書いたことがありますが、人間というのは、初めて体験することに思った以上に鈍感だったりするものなのです。いわゆる更年期症状と呼ばれるものが自分にも起こっていることはわかっていましたが、なかなか「私」に起こっているということが、症状が出ているにも関わらず受け入れられませんでした。「いわゆる更年期症状があるけど、まあ、私はなんとかやり過ごせる」「たぶん私の症状なんてたいしたことないし、みんなこんな風だろうし」なぜかそんな風にまるで他人事のように思っていたのです。

もちろん、治療の副作用は人それぞれで、まったく出ない人というのもいらっしゃると思います。私の場合は、ホルモン療法しか受けていないので、同じ乳がんの方であっても、状況がまったく違う方もいらっしゃるとも思います。副作用があっても、私が願っていたようにやり過ごすことができる人だっているだろうし、生活や仕事に影響がないように専門家の診断をうけたり、何かしらの方法をすでに取っている人もいるでしょう。そして、おそらく大多数はそういう方たちだろうとも思います。

でも、私はそうじゃなかった。
私は、自分の心と体をあまりにも適当にあしらってしまった。
そのしっぺ返しを今、受けているような気分です。

今となって個人的に思うのは、病だけでなく「私」に何が起きているのかをもっと深刻に捉えるべきだったんじゃないかと。不眠からはじまった症状は「なんとかやり過ごせる」範疇を越えてしまいましたし、そもそもやり過ごすべきものであったり、乗り越えるべきものでもなかったのではなかったと今は思っています。結果として、もはや、何のストレスが「適応障害」の原因となったのか、よくわからなくなっているというのが現状です。

乳がんです。と言われたら、手術や放射線治療などの初期治療には集中するものかもしれません。なので、つい最近乳がんと診断された方には今はわからないことかもしれませんが、長く治療を続けるということがどういうことなのかがわかった、今だからこそ言えること。

乳がんは、大したことがない病気ではありませんし、「がん」です。
だから、もちろん治療を続けていくことは大切です。
ただ、その治療や病そのものが、自分の体や心に思ってもみなかった影響を与えることがあるのだということも、頭の隅に置いておいてほしいのです。

そして、もし、治療を続けるに従って、今までの生活や仕事とは何か違うなって思うようになったり、うまくできないことがあったり、辛いなと感じたりしたら、できるだけ早めに専門家にご相談されることをおすすめします。彼らは、この道のプロフェッショナルなのですから(あたりまえですが!)。

2015年7月14日火曜日

我是日本人(私は日本人です)

中国語(だけじゃないけど、外国語全般)の発音が日本人にとって、難しい理由の1つに、日本語にはない音があることが挙げられる。その中でも最も難しいものではないかと思うのが「日本人」の「日」。これは誰もが経験することであるとも思う。

具体的には拼音では
ri
注音では

の音なんだけど、舌を後ろに引きながら内側にカーブさせる感じで、下の歯は前に出すみたいな、謎の口の動き。

英語のrの舌の動きともまたちょっと違う。rは別の音(erまたはㄦ)で同じような音が中国語にもある。英語の場合、私のrはそんなにキレイに発音できてないとは思うものの、通じないということはない。どうやら英語には型というか話し方があって、それができるようになると多少発音が変でもかなりの割合で通じるので、ある程度推測してもらっているのだろうとも思っている。

しかし、台湾では、どこから来たの?日本人?って聞かれて「日本です」「日本人です」と言っても、「はぁ?」という顔をされるのだ。それぐらいに、発音がなっていないのはわかっているのだが、これがなかなか。あと、声調というイントネーションがあって、これがズレると、まったく通じない。

日本人なのに、日本の発音がなってないというのは、悪い冗談のような気がしてくる。今日も夜な夜な日本人の練習中。



あとですね、台湾にはアスパラガスのジュースというのがあるんですが、これが激マズで。友達が試してみればと買ってくれたのですが、青臭いというか、なんというか、なんで、アスパラガスがジュースになっているのかが謎です。あ、ちなみに、こちらでは、トマトはフルーツ扱いされることが多いです。

現場からは、以上です。


2015年7月11日土曜日

PREDICTというツール

今年のザンクトガレンコンセンサスの内容を読んでいると、予後予測ツールとして、Oncotype DXなどの他に、これまで見かけなかったツール名(というのだろうか?)的なものをいくつか見かけた。

そのうちの1つがPREDICTと呼ばれるもので、いったいどんなツールなんだろう?と検索をしてみるとちょっと興味深い記事を発見。

乳がんの「その後」を予測するツール「プレディクト(PREDICT)」、予測の正確性は?

この記事の元になっている論文のabstractは、PubMedから読めます。

PREDICTとはイギリスのNHSのサイトで公開されているツールで、ここから実際に使える。

上から年齢、診断状態、腫瘍のサイズ、腫瘍のグレード、リンパ節への転移、ER状態、HER2状態、KI67状態、化学療法の有無とその世代を入力または選択して"Predict Survival"ボタンを押すと、テキストとグラフで5年後、10年後の生存率が表示されるようになっている。

補助療法を行わなかった場合のグラフがデフォルトの生存率で、プラスして、選択した補助療法が生存率をどれだけ上乗せできるのかがわかる。

入力する内容はそれほどないのと、見ればわかる内容だと思うものの、1点だけちょっと謎なのがKi67の選択肢。NegativeとPositiveから選ぶようになっているが、通常、Ki67ってパーセンテージで表現されていることが多いのではないかと。これは説明を読むと、10%以上をPositiveとするようで。

また、chemo(化学療法)のSecondとThirdとは、Secondがアンスラサイクリン系の抗がん剤(第二世代らしい)、Thirdがタキサン系の抗がん剤(第三世代らしい)を意味するよう。

しかし、PREDICTの説明ページを読むと、なるほど、2013年のザンクトガレンコンセンサスで指摘されていたイギリスのNHSでカバーされるようになった多重遺伝子ツールっていうのはOncotype DXなのではないかと。「NICEが最近推奨しているOncotype DX」的な説明が入っているので、そうなんじゃないかなーと。だったら、うらやましいな。

2015年7月5日日曜日

ㄅㄆㄇㄈ

タイトルはいったい何のことやら、だと思いますが、これは台湾で使われるひらがなのようなものです。

中国語を学ばれたことがある人はわかると思うのですが、普通発音は拼音(ピンイン)と呼ばれる、アルファベット的なものを使うのですが(中国では必ずそうみたいですね)、台湾ではこの記号みたいなもの(注音符號と言い、読みは「ヅウインフウハオ」みたいな感じ)で発音を表現します。とはいうものの、台湾で外国人が中国語を勉強する場合は、発音は大体ピンインを使って授業をすることが多いです。ただし、この国の国民である台湾人が通う学校では、通常、注音で発音を学びます(小学校とかです〜)。台湾人の友達はほとんどピンインが分からないので、発音を聞くと大抵ㄅㄆㄇㄈで書いてくれるんですが、読めなかったんですよ、これまでは!

今回はせっかくなので、先生にお願いをして、注音をイチから始めてみることにしました(とか言いつつ、ピンインでの発音も自分は怪しいのですが)。実際やってみると、こちらのほうが発音もわかりやすいですし、それに沿って発音がきれいになるという利点もあります。が、このあいうえおみたいな記号をなかなか覚えられない…まったく歳を感じます(苦笑)。


壁に貼って必死に覚えてるんですがー!

ちなみに、タイトルはボォポォモォフォみたいな感じの読みで(これも日本語で書くのがすごい難かしいのですが)、意味はありません。あいうえお、みたいな感じ。

あ、この週末は、日本乳癌学会総会だったのでは!すっかり忘れてました。なんか、ちらっとみたら、患者向けのセミナーしかなくて、市民向けの公開講座はないんですね。その代わり、RUN&WARKっつーのも、なんだかなー。まぁ、ターゲット絞りが難しそうですからね。どなたか行かれた方、なにか興味深いトピックがありましたら、ぜひ教えてくださいませーとまた、他力本願な…。

ザンクトガレンの続きは、まだ、気になることがあるので、折を見て。

この週末は、自転車で5分位の所にある、美術館へ。草間彌生展がやってるんですが、すごい人!でした。日本の現代アート、本当に人気なんですよね〜。

現場からは、以上です。

2015年6月30日火曜日

生日快樂!

檸檬豆花超好吃!

というわけで、台湾へ。
今はライチ(もちろん生の!)が美味しい時期で、友達からさっそく差し入れをいただき、モグモグと。

実は、昨日は私の誕生日でした。
新しい毎日が始まる誕生日、ということで。あはは。

友達にケーキまでおごってもらってしまった。いい年なのにね。


生日快樂、我!

2015年6月18日木曜日

2つの臨床試験が導き出したもの(ザンクトガレン2015)

ザンクトガレン2015のサブタイプの表みたいなの(笑)は、前回、前々回とはちょっと変わってて、その理由は内容を読めばわかるんだけど、とりあえず、大きなトピックとしてはこの記事を読むといいかも!

(PDFです。要会員登録かも←無料で誰でもできます)

散々ぶつぶつ言ってた、閉経前乳がんの内分泌(ホルモン)治療にOFS(Orvarian Function Suppression=卵巣機能抑制)+AI(Aromatase Inhibitor、アロマターゼ阻害薬)を用いるケースに関して詳しく書いてある。今後、これが普通になるのかしら。

2015年6月16日火曜日

お引っ越しメモ

本当にどうでもいいですけど、いま、ダラダラと前のBlogの引越しをしていて、結構これが面倒なのでメモして忘れないように。

前に使っていたサービスはExcite Blogっていうやつだったんだけど、無料だと、広告がうざいし、投稿画面の使い勝手もイマイチだったので、違うサービスにしようと思って、グーグル先生のものを使うことにした。

どうもExcite Blogって独自の形式を使っているようで、引越しが面倒だということに今更気がついたのだが、いろいろ調べた結果以下の方法でのんびりインポート中。
もっと簡単にできないかなーと思いつつ、ま、暇なのでいいか、ということで。

・FC2Blogにまるごと移動(ツール有、Blog記事自体は非公開に)
・FC2Blogのデータバックアップ
 テキスト:「エクスポート」から記事をMovable Type方式で吐き出す
 画像:「ファイルバックアッップ」から。ダウンローダーを使うと便利
・テキストの日付の形式をここでBlogger形式にしておく
・ダウンロードした画像をグーグル先生の画像ストレージPicasaに突っ込んで、RSSからアドレスを取得しておく
・日付を変更したテキストと、RSSのリンクから、テキスト上の画像リンクをここで変換
・日付を変更し、画像のリンクを変更したテキストを、ここでXMLに変換
・bloggerの「設定」→「その他」→「ブログをインポート」でXML化したファイルをアップロードする
※ファイルサイズがデカいと、なかなかアップロードできない… …ので、小分けに。
※ラベルはカテゴリーから取得、タグはそもそも保存されない
※コメントのフラグが反映できない(隠しコメントの設定がそもそもない)

利用させていただいた各ツール、本当にありがとうございます。
とっても便利に使わせていただいております!

ここまで読んでいただいてなんとなく気がついたかもしれませんが、私、結構オタク気味です。でも面倒臭がりなんで(だから、たぶん本物のオタクではないw)、さっさとできないんですよね。あと、いくつかインポート時に問題が発生してるんで、引き続き微調整しながらアップしていきます。ダラダラと (笑)。

2015年6月10日水曜日

術後の検査(2年後:検査&手術病院でのフォローアップ)、放射線治療(フォローアップ5)

すこし時間がたってしまったが、術後2年目の検査と手術病院でのフォローアップ、放射線治療のフォローアップがあった。

前から書いている通り、私は東京都医療連携手帳(がん地域連携クリティカルパス)を使っており、術後のホルモン療法は乳がんを診断してくれたクリニック(連携先)にて管理してもらっている。この連携手帳を使う場合、特に経過が問題ない場合でも、1年に1回連携元となる病院(私の場合は手術病院)に検査結果を持って行き、診察を受ける。

去年はⅠCTPと呼ばれる、骨転移の腫瘍マーカーが基準よりも高くて、冷や汗をかいたけれども、今年はそれも基準内で、マンモグラフィーも超音波も問題なく、クリニックでの検査は無事終了。そこでも、10年間ホルモン療法を続けるとされるのは、どんなリスクがある人なのか、という話を聞くと、まだ決まってないらしいが、再発リスクのベースラインリスクとして用いられているリンパ節への転移など、または受けているならば多重遺伝子診断結果じゃないかという感じの話だった。私の場合は、今の基準だと5年で大丈夫だと思うけど、またその時になってみたら変わるかも、的な感じで。相変わらずよくわからないな〜と思いつつ、診断先生からは「ボンボン先生によろしく!」と。


そして、1年ぶりにボンボンの診察を受ける。今回は拍子抜けするほど診察が時間通りで、逆にビビってしまった。もしや、人気なくなった?とかね。まあ、推察される理由はあるんだけど、そうなのかもと、ちょっと納得してしまった。検査結果も問題ないですね、と一通り確認して「OK」を書き込んでくれ、LH-RHアゴニストは、生理が戻ってきたとしても、2年で終了にしましょうということになった。現状の不眠から始まった適応障害の話をしたところ、たぶん、LH-RHアゴニストの効果が薄れれば、だいぶ体調もよくなるはず、とのことだった。本当にそうであってほしいんだけど……。

そして、連携手帳というものを持って診察を受けに行っているのだが、今はたぶん変わったと思うんだけど、私がいただいている連携手帳の作りがあまりにもちゃち過ぎて、本当にびっくりしている。これは10年使うことになっているんだけど、どう考えてもありえないほどにひどい。紙の質が悪くてペラペラだし、使っているイラストが仰天するほどダサく(たぶん、ワードのクリップアートとか←マジか!)、ボンボン曰く「まあ、3年ぐらいで溶けちゃうんじゃないかと思うんで(←意外と面白いこと言うな!)、溶けたら溶けたでいいですよ〜」ですと。「こっちの病院も忘れないでくださいね」などと、そもそもあなたが私を絶対に忘れているだろうと思うようなことを言いながら、「また来年、元気な姿でお会いしましょう」と送り出してもらった。

その後は、放射線腫瘍科で恒例のフォローアップ。前回は新しい先生(←名前です)が別の科で研修をしているとかで違う先生にバトンタッチされていたので、1年ぶり。でも、たぶん、先生になりたてぐらいから担当してもらっているようなので、いろいろと覚えてくださっている。こちらは、ざっと色素沈着の状態を見て、「もうちょっと、ですね」と、やっぱりまだ少し残っている感じ。あとは、胸の音を聞いて終わり。

「この、放射線治療のフォローアップっていつまで続くんですか?」「一応、5年なんですけど、『お元気ですか?』的なものなので、もう、今の時期になってしまえば、来なくても大丈夫ですよ。放射線治療後に起きる症状が出る時期はほぼ終わってるので」ですと。あとは、先生も暇そうだったので、雑談。全然放射線治療とは関係ない、不眠からはじまった一連の話をして「お医者さんとかもそういうことってあるんですかね」と聞くと、先生の周りではあまり聞かないらしい。「ただ、外科の先生とか、ほんといつ寝てるんだってぐらい忙しそうですけどね〜」と。

2年目も無事終了。はやくLH-RHアゴニストの効果がなくなって、体が楽になりますように!

2015年6月8日月曜日

Diary of a Surgery(手術日記)

この記事が出たのって、なんと!3月のことだったんですが、やっと日本語にしてみました。なんとなく読んではいたんですけど、実際、日本語にするのって本当に難しいですね。なんちゃって翻訳をしてみるたびに、翻訳者のお仕事に対して、尊敬の念を隠せません … …。

以前の両乳房を切除した際の元記事はこちらです。

このなんちゃって翻訳をするのに、以前の記事を見ていて思ったのですが、アンジーが名前に"Pitt"って入れたのは今回が初めてで、よくよく調べてみると、2014年にパートナーのブラッド・ピットと結婚したそうなので、前の記事の際には入っていなかったってわけなんですね(ゴシップっぽいネタですけど、気になってしまった・笑)。

翻訳で間違いやお気づきの点などがあったら、遠慮なく教えていただけるとうれしく思います。他力本願でいつもすみません。

Diary of a Surgery(手術日記)


TWO years ago I wrote about my choice to have a preventive double mastectomy. A simple blood test had revealed that I carried a mutation in the BRCA1 gene. It gave me an estimated 87 percent risk of breast cancer and a 50 percent risk of ovarian cancer. I lost my mother, grandmother and aunt to cancer.

自分の両乳房に対して予防的乳腺切除を行ったという選択について書いたのは、2年前のことだ。簡単な血液検査によって、BRCA1遺伝子に変異があるということが明らかになった。その結果によれば、私には乳がんになる確率が87%、卵巣がんになる確率が50%あると推定されるとのことだった。私の母と祖母、そして叔母はがんで亡くなった。


I wanted other women at risk to know about the options. I promised to follow up with any information that could be useful, including about my next preventive surgery, the removal of my ovaries and fallopian tubes.

私がBRCA1遺伝子に変異があることを知ったのちに予防的乳腺切除を行ったが、その次の予防策として卵巣と卵管切除の手術を行った。これらを含めてさまざまな有用な情報を追うことにより、同じリスクを持つ女性に選択肢があるということを知ってもらいたく思っている。


I had been planning this for some time. It is a less complex surgery than the mastectomy, but its effects are more severe. It puts a woman into forced menopause. So I was readying myself physically and emotionally, discussing options with doctors, researching alternative medicine, and mapping my hormones for estrogen or progesterone replacement. But I felt I still had months to make the date.

卵巣と卵管切除の手術も行うことを予定していたが、乳腺切除よりも複雑ではない手術ながら、強制的に更年期を迎えさせるため、身体に対して与えられる影響はより深刻だ。そのため、私は医師らと相談を行い、代替医療を探し、失われるエストロゲンとプロテスゲロンといった女性ホルモンの置き換えを計画しながら、自分の心と体の準備を行った。とはいえ、実際に行う日は、まだ先のことだろうと考えていた。


Then two weeks ago I got a call from my doctor with blood-test results. “Your CA-125 is normal,” he said. I breathed a sigh of relief. That test measures the amount of the protein CA-125 in the blood, and is used to monitor ovarian cancer. I have it every year because of my family history.

その後、2週間前に医師から「CA-125の値は正常ですね」と告げられ、ほっと安堵のため息をついた。CA-125は血液中のCA-125タンパク質を計測する検査で、卵巣がんのモニタリングのための腫瘍マーカーとして使われている。先に書いた家族歴から、私は毎年この検査を受けている。


But that wasn’t all. He went on. “There are a number of inflammatory markers that are elevated, and taken together they could be a sign of early cancer.” I took a pause. “CA-125 has a 50 to 75 percent chance of missing ovarian cancer at early stages,” he said. He wanted me to see the surgeon immediately to check my ovaries.

でも、これが全てではなかった。医師から「CA-125ではないが、炎症によって上昇しているマーカーが複数あり、これらは早期がんの兆候を表すものかもしれない」と告げられ、私はしばし黙り込んだ。さらに、「CA-125は、早期卵巣がんを50〜70%の可能性で見落すともされているのです」と続け、早急に外科医に、卵巣をチェックしてもらうことを勧めてきた。


I went through what I imagine thousands of other women have felt. I told myself to stay calm, to be strong, and that I had no reason to think I wouldn’t live to see my children grow up and to meet my grandchildren.

その言葉に、母親ならば感じるであろう気持ちが通り過ぎていったが、自分自身に「落ち着いて、気持ちを強く持って」と言い聞かせた。自分の子供が成長し、そして生まれる孫の顔が見れないという理由はどこにもないのだから。

I called my husband in France, who was on a plane within hours. The beautiful thing about such moments in life is that there is so much clarity. You know what you live for and what matters. It is polarizing, and it is peaceful.

フランスにいた夫に電話をかけると、その2時間後に彼は飛行機に乗っていた。人生の中で美しいと感じる瞬間は、自分の生きている目的そして、直面している問題がはっきりとわかることだ。それは両極端であり、平穏だということ。


That same day I went to see the surgeon, who had treated my mother. I last saw her the day my mother passed away, and she teared up when she saw me: “You look just like her.” I broke down. But we smiled at each other and agreed we were there to deal with any problem, so “let’s get on with it.”

同じ日に、私の母を診てくれていた外科医を訪れた。その外科医と最後に会ったのは、母がなくなる前日だった。そして、私を見ると涙を浮かべて「あなたは、お母様そっくりね」と言い放った。なんてショックなことだったか。しかし、今、直面している問題に対処するために意見を合わせ、「さぁ、はじめましょうか」と、お互いに微笑みあった。


Nothing in the examination or ultrasound was concerning. I was relieved that if it was cancer, it was most likely in the early stages. If it was somewhere else in my body, I would know in five days. I passed those five days in a haze, attending my children’s soccer game, and working to stay calm and focused.

検査や超音波には、何の問題もなかったので、もし、がんがあったとしても、それはごく初期のものであるだろうということに安心していた。どこか私の体にがんがあったとしても、5日後にわかることだ。その5日間はもうろうとしながらも、子供のサッカーの試合に参加するなどして、落ち着いて集中するように心がけていた。


The day of the results came. The PET/CT scan looked clear, and the tumor test was negative. I was full of happiness, although the radioactive tracer meant I couldn’t hug my children. There was still a chance of early stage cancer, but that was minor compared with a full-blown tumor. To my relief, I still had the option of removing my ovaries and fallopian tubes and I chose to do it.

結果の日がやってきた。PET/CTに問題はなく、腫瘍検査も陰性。検査で使った放射性物質のせいで、子供達を抱きしめられなかったけれども、幸せに満ちた気分だった。初期のがんがある可能性はまだ残っていたが、本格的ながんの腫瘍にくらべれば重大な状態ではない。その初期のがんの可能性をも排除するために、卵巣と卵管を切除するという選択肢が残っていたが、私はそれを選ぶことにした。


I did not do this solely because I carry the BRCA1 gene mutation, and I want other women to hear this. A positive BRCA test does not mean a leap to surgery. I have spoken to many doctors, surgeons and naturopaths. There are other options. Some women take birth control pills or rely on alternative medicines combined with frequent checks. There is more than one way to deal with any health issue. The most important thing is to learn about the options and choose what is right for you personally.

この決断をしたのは、私のBRCA1遺伝子に変異があるからではない。このことについて、他の女性にも意見を聞いてみたいものだが、BRCA検査で陽性だからといって、卵巣切除の手術と結びつくということではない。外科や自然療法を用いる医師らとも話し合い、他の選択肢があることもわかっている。ピルを使ったり、他の薬を飲みながらこまめな検査を受けている女性たちがいることもわかった。どんな健康に関する問題であっても、対処方法は1つではないのだ。もっとも重要なことは、どんな選択肢があるかを知り、自分にとって相応しい方法を選ぶということだ。


In my case, the Eastern and Western doctors I met agreed that surgery to remove my tubes and ovaries was the best option, because on top of the BRCA gene, three women in my family have died from cancer. My doctors indicated I should have preventive surgery about a decade before the earliest onset of cancer in my female relatives. My mother’s ovarian cancer was diagnosed when she was 49. I’m 39.

私のケースでは、お会いした西洋医学と東洋医学の医師らと、卵管と卵巣を切除することが最良の選択肢であるという合意に至った。なぜなら、私の3人の親族はBRCA遺伝子がもっとも関係しているがんを発症して亡くなっているからだ。医師によれば、もっとも若い年齢でがんを発症した親族の、その年齢の10年前に予防手術を行うべきだと示した。私の母が卵巣がんと診断されたのは49歳のときだった。そして、私は今39歳だ。


Last week, I had the procedure: a laparoscopic bilateral salpingo-oophorectomy. There was a small benign tumor on one ovary, but no signs of cancer in any of the tissues.

先週、私は「腹腔鏡下両側卵管卵巣摘除術」による手術を受けた。その結果、卵巣の1つに小さな良性腫瘍の兆候があったが、どの組織にもがんそのものはなかった。


I have a little clear patch that contains bio-identical estrogen. A progesterone IUD was inserted in my uterus. It will help me maintain a hormonal balance, but more important it will help prevent uterine cancer. I chose to keep my uterus because cancer in that location is not part of my family history.

今、自分の身体のホルモンバランスを保つために、人工的にエストロゲンを含んでいるパッチを貼っている。また、子宮にプロゲステロンのIUDを入れたが、これはホルモンバランスを保つだけでなく、子宮がん(注:たぶん、子宮体がんのことだと思います)を予防してくれるものだ。子宮を残したのは、親族に子宮がんを患った人はいないからだ。


It is not possible to remove all risk, and the fact is I remain prone to cancer. I will look for natural ways to strengthen my immune system. I feel feminine, and grounded in the choices I am making for myself and my family. I know my children will never have to say, “Mom died of ovarian cancer.”

すべてのリスクを取り除くことはできないし、私はがんになりやすいままだ。だから、自分の免疫システムを高めるための自然な方法を模索している。それでも、私は自分の女性らしさを感じているし、私がとった選択は自分自身のためであり、家族のためである。子供達は「私のママは卵巣がんで死んだの」と言わないで済む。


Regardless of the hormone replacements I’m taking, I am now in menopause. I will not be able to have any more children, and I expect some physical changes. But I feel at ease with whatever will come, not because I am strong but because this is a part of life. It is nothing to be feared.

ホルモンを置換しているにもかかわらず、私は今、更年期になった。もう子供を授かることはないだろうし、自分自身の身体に変化があることだろう。とはいえ、何が起ころうが気にしない。それは、私が強いからではなくて、人生の一部として起きることなのだから、恐るるに足らない。


I feel deeply for women for whom this moment comes very early in life, before they have had their children. Their situation is far harder than mine. I inquired and found out that there are options for women to remove their fallopian tubes but keep their ovaries, and so retain the ability to bear children and not go into menopause. I hope they can be aware of that.

子供を授かる前に、私とおなじように人工的に更年期へと突入しざるをえない女性のことを深く考えている。その状況は、私よりもより辛いはずだ。また、卵管を切除しても、卵巣を残し、妊娠する能力を残したまま閉経しないという方法があることも知った。彼女たちに、この方法をぜひ知ってもらえればと思っている。

It is not easy to make these decisions. But it is possible to take control and tackle head-on any health issue. You can seek advice, learn about the options and make choices that are right for you. Knowledge is power.

(私が行ったような)このような決断を下すことは容易ではない。しかし、健康上の問題は真正面から取り組めばコントロールできるものもある。アドバイスを求めたり、選択肢を探すことが、自分にとって正しい決断をもたらす。知識こそが「力」となるのだ。

2015年5月20日水曜日

14 th St. Gallen International Breast Cancer Conference Primary Therapy of Early Breast Cancer, consensus 2015

お待ちかね(?)のザンクトガレンコンセンサスですが、あっさりコンセンサスがPublishされてました。

原文はこちら(PDFです)。

なんかちらっと読んだ感じだと、かなり細かい話になっていて、そして、多重遺伝子診断がもはやいろいろな意味でスタンダードになりつつあり、種類も増えている感じです。詳しくはもう少しちゃんと読んでから書きたいなーと思いつつ、今日はこのあたりで!

アブストラクトだけでもさっくりと翻訳したいものなのですが、その前にアンジーの方もね。

どうでもいいんですけど、アンジーの記事を読んでいると林真理子っぽい感じが鼻に付くというか、さりげなく、イラっとすることが書いてあるんですよね(ただ、それが私にとってイラっとすることであって、必ずしも誰もがイラっとすることなわけではないわけなんで、どうでもいいから早く日本語にしろって感じですな)。


2015年5月18日月曜日

The world shines brightly

今回のたびは、旅のパートナーと久しぶりにシンガポールへ。かなり贅沢してみた。

次にこんなことができるのは、いつのことだろうなあ。


で、帰りにこれからの用意のために、台湾に寄って、今年初のマンゴーカキ氷。

まだ、フレッシュなやつではない感じで、ちよっと残念。


ついでに、友達と鍋。暑い〜〜!



2015年5月7日木曜日

これからのこと

本当に突然なのですが、術後2年目の検査で問題があってもなくても、来月から台湾に行くことにしました。本来なら休職中なので、まずいんでしょうが、そのあたりは、メンタルクリニックの先生とも相談して、なんとかできそうということで。

とか言いつつ、まだ、このblogでも書きたいことはあるので、そのあたりは継続しつつ、ダラダラやってきます。

ずっとやりたかったことを、あと何年先延ばしにするの?というのもあったり、たぶん、これは最後のチャンスだし、もしかしたら、私はそのために、いろいろな病になったのかも、ぐらいの気持ちで。

あ、でもですね、最低でも3カ月ごとに、帰国します。まだ、経過観察中だし、治療は終わってないし、メンタルクリニックにも、会社にも、休職期間の区切りごとに行かないとだし、いろいろと。

やっと心にかかっていた霧のようなものは晴れた気がします。今は、楽しみってことしかないです。

独り身でよかった、と思ってもいいのかな、なんてね。


ここが、住む街になりそうです。




2015年5月2日土曜日

毎日が日曜日!







台湾から4人も!友達が来て、東北方面へ一緒に行ってきた。音楽のフェスと、盛岡、角館などを回って。みんな帰ってしまって寂しいけど、ほんとうに、何も心配することがない(いつもは仕事がどうなってるのかが気になってしまっていたので)というのは楽しいのだと心から思いました。

今年の桜は開花も早かったみたいで、唯一、小岩井農場(初めて行ったのですが、かなりおすすめ!)の桜だけが満開。あとはほとんどが終わってしまっていました。

実は、しばらくごはんが食べられずに体重が4kgほど減ってしまっていて、メンタルクリニックの先生からも、会うたびに痩せていっているので、なんとか食べるようにと指導をされていたのですが、東北で一気に取り戻しました!と、報告。

ちなみに、なぜ、食べられないかというのにも理由があって、私はずっと自炊をしていたのですが、仕事から帰って自炊をする、というルーチンがストレスの一環にあるからなのだそうです。つまり、ごはんを作るということが、仕事のストレスと結びつくので、食べたくなくなっているのだと。確かに、お腹は空くのですが、食べるのがめんどうで、なんとなく食べられないでいました。色々と考えて、しばらくは、実家で老母に申し訳ないと思いつつ、作ってもらったり、外食(は普段はあまりしないのですが)したりで、ストレスとの切り離しをすることにしています。

心の病というのは、本当に複雑なのだと実感しています。


2015年4月24日金曜日

どうも!、ふたたび

(ここは以前のブログから引用です)
私も乳がんの方のblogを見る際に、どんな方が書いてるのかと思うものの、あえて、あまり身分は明かさずに書いていきます。
このBlogを作ったのは、以下の理由からです。
  • 友人や知人にいちいち乳がん歴をお披露目するのが面倒なので、ここで知ってもらいたい
  • 乳がんの診断や、その治療がどうやって進んだのかを記録しておきたい
  • そもそも乳がんでは、どんな治療が現在行われているのか(標準治療)をまとめたい
  • 標準治療以外でも、知っておいた方がいいと思われる情報などをまとめたい
  • 私が乳がんに対して思っていることは、他の人にとっては「どうでもいいこと」です
ちなみに、私の乳がんが発覚したのは30代後半です。若年性乳がん(35歳以下)ではないのですが、乳がん年齢としては、まだ若めです。結婚もしておらず、子供もいない、シングルで、普通に社会人として仕事もしておりまして、職業が少し専門的なのですが、年齢なりのキャリアを築き上げているつもりでした。この先、「お一人さま」で生きて行く覚悟はすでにありましたが、そこに「乳がん」になるという予定はありませんでした(あたりまえですね)。乳がんが発覚してからなんとなく描いていた将来はもろくも崩れ去り、この先の私の人生は、どうしたものか?と悩みましたし、今でも悩んでいますが、なんとかやっていくつもりです。もともとこれまでも適当に生きてきたので、この先もそんな感じでいきたい。ただ、自分の病気とは、真剣に向き合っていきたいと思っています。
(ここまで引用)

soliloquyって?

 soliloquy(səlíləkwi)とは「ひとりごと」とか、劇中の独白的な意味です。カタカナでかくとソリロクゥィみたいな感じでしょうか。乳がんを経た生活や、そして自分に関してのひとりごとみたいな感じのことをひっそりと書いてみようかと思っています。

ちなみに、今回はコメントは書けるように最初からしてあります。gmailのアカウントも同時に取ったので、
sunday.and.tourist @ gmail.com
までお願いします(上のアドレスは@の前後に半角スペースが入っているので削除をしてください)。前に何度かメールでやりとりしている方は、そちらで使っているアドレスがメインですので、そのままで大丈夫です。

初めましての方も、今まで読んでいてくださった方も、
どうぞよろしくお願いいたします。


2015年4月13日月曜日

This is the Hong Kong!



Day and Night

歩きすぎて疲れた。
明日は、本当に最後の贅沢をして帰る。

来月、いつもの旅パートナーとのプチバカンスが終わったら、しばらく旅はない予定。

明日は、Grand Hyatt Hong Kongのスパ、Plateau Spaでpreflight packageを受けるんだけど、なんと、4年前の同じ日に、同じ予約をしていたと返事が来た。

それを記録してるPlateauも凄いんだけど、予約を入れた私も凄いかも!

その時は、東日本大震災のすぐ後で、絶対に聞かれるからと、原子力発電所関連の事故に関する単語を細々と調べてから香港に来た思い出が。

しかし、このpreflight package は、とてもお勧めです、が、円安との今は本当に高く、貧乏な私には、最後の贅沢。4年前は、すごくお得だったのに。

名前の通り、飛行機に乗る前に特にお勧めで、すっきりして飛行機に乗れる。ボディとフェイシャルとあって、そのあたりは、施術前に相談して、mixも可能。このpackage で使うお部屋には、バスタブではなく、ちゃんとしたお風呂があって、最後にそこでのんびりできる。たぶん、後ろに予約がなければ、数時間いても大丈夫かも。お茶やフルーツなども置いてくれて、エステティシャンはいなくなっちゃうので、ほんと、のんびり。

最後に、コスメの旅行用のセットみたいなのがいただけるのだが、ここで使ってるシグネチャーコスメのJune Jacobsのもので、私は初めてここで知ったのですが、これがまたいい!

なかなか日本で買えないのが残念で。

もしご興味があれば是非!
Grand Hyatt Hong Kong Plateau Spa

2015年4月16日追記


お部屋はこんな感じ。
下がお風呂っていうか、ジャグジーらしい。そうだよなー、お風呂って超日本人だわ。

2015年4月11日土曜日

我要加油哦!







ちょっと訳ありで、明日から香港へ。
その前に、台湾で久しぶりに友達と会った。彼は、以前日本に遊びに来た時に、一緒にカップヌードルを作ったっきりだったんだなと。あれは、9月で、その後、私はどんどんおかしくなりつつあったんだけど、そのちょうど入り口ぐらいにいた時だった。その後、たまに元気?ってメッセージくれても、元気!ってしか答えられなくて、本当に久しぶりにちゃんと会った。

「大概要多久呢?(たぶん、すごい久しぶりじゃない?)」
「對啊。上次見面是你來東京玩的時候吧?(うん。前会ったのって、東京に遊びに来た時だよね?)」
「好像是(そんな感じ)」

と、お互いに近況を。私は、休職の話までを英語でも中国語でもするほどの語学力がないので、仕事が忙しすぎて精神的に問題が出たので、お休みしてる〜みたいな感じで。よく考えてみると、去年彼と日本であった日も、会う前に仕事して、会った後も仕事してた。横浜を往復して。

ほんとアホか、って今は思う。
彼らは何があっても私が渡台すれば、絶対に時間を作ってくれた。どんなに突然でも、私を優先してくれた。

なのに私は、いつも時間がなく、中途半端にしか付き合ってあげられず、本当に付き合いが悪い、そんな風にしかできない自分が悲しかった。

でも、今日は英語をなるべく少なくして、結構頑張って中文で会話して、帰り際に「我要加油多學中文哦(もっと中国語の勉強をがんばるね)!」って言ってみた。

我要加油哦!

2015年4月2日木曜日

お引っ越し

会社を休職するに従って、実家に戻ることにした。
実際、両親もそれなりに老齢なので心配だというのと、家賃を払い続けてものらりくらりと暮らせるほどの収入は当分の間、見込めないからだ。

それに伴って、このblogも引っ越すことを考えている。

右にあったメールフォームが消え、広告が再び表示されているのは、有料プランを解除したから。

引越し先はなんとなく決めているけど、また面倒なことが嫌いな私は、さっさと作業ができないでいる。
しばらくぼんやりと続けていくつもりだが、気が付いたらもう4月。2年前の今日、私は乳がんの手術のために入院したのだった。


2015年3月30日月曜日

沒有樂樂的一天,就像沒有太陽的一天














沒有樂樂的一天,就像沒有太陽的一天(楽しいことがない一日なんて、太陽の出ない一日と同じ)。

對我來說,真的這是說得好(本当にそうだと思う)。

言葉が通じあえるはずの場所でうまくやれないのならば、私は、あえて言葉が通じない場所で、少しでも自分が言いたいことが言えるようになりたい、少しでも自分がやりたいことができるようになりたいと思って、海を渡った20数年前を、久しぶりに思い出した。

I am what I am.