2013年4月29日月曜日

愚痴とかなんとか6:術後のあれこれ

乳がんの手術後、最近ちょっと気になり始めたのが、実際、私はどれだけの重さの脂肪と腫瘍を取り出したのかということです。私の家族は、術後の説明の際、実際に取り出した組織を見ているのですが、私は見ていません。母に話を聞いたところ、見せられた組織が思ったよりも大きかったようで、私の今の乳房の状態を見せたら、「あんなに取ったのに、ほとんど変わってないわね(絶句)」だそうなんですよ。いや、こっちもそんなに組織を取ったとは思ってなかったので、話を聞いてびっくりでしたが。

まあ、ボンボンの腕がよかったから、それほど乳房の形が変わらなかったのかもしれませんが(もしかしてこれが腕利きってことか!?)、いずれにせよ、それなりの量は取り出しているような気がします。なので、その重さ分を乳房あたりに持ってくることで、体のバランスが崩れることはなくなるのかと。次回の診察の際に聞いてみようと思っているんですが、実際、取り出した組織って重さを計ってるもんなんですかね?

あと、術後に「普通の下着を着けていいですよ」と言われたんですが、いくら変化がそれほどなくても、形がまったく変わってないわけではないし、傷もあるので、大きさが左右対称であり、傷がないことを前提に作られている、いわゆるワイヤー入りのブラジャーは今のところしていません。今後、放射線治療が始まれば、脱ぎやすく着やすいという観点の下着を着ける必要もありますし……。たぶん、下着選びというのも、ちょっとしたトピックになりやすいんじゃないかと思ってます。

大体、傷に縫い目など何か当たると痛いので、結局はカップ付きタンクトップ的なもので誤魔化しています。いろいろなメーカーから出ているので、何枚か買って試してみているのですが、今のところは無印良品のパッドを入れる部分がメッシュになっているものが私には一番良い感じです。ユニクロのはカップの淵が傷に当たってちょっと痛いんですよ……ホールド感はユニクロの方がいいんですが……。と、男性にはあまりよくわからない話で今日は終わり。「どうでもいいこと」なんで、こんなところでしょうかー。今日は本当にどうでもいい話でしたね。

それと、やっぱり術後しばらく経ったら、手術した乳房がしぼんできたような気がする……よく考えてみると、移動した脂肪って、実はそれほど定着しないんじゃないかと思うんですよ。脂肪を使った豊胸術って、大体そんなもんみたいなので、同じことなのかなと(あ、豊胸術はしたことないですよ!あくまで一般論ですよ!)。もともとの乳房はそれほど大きくないので、なるべく現状維持でお願いしたいところです。この後、放射線治療を行うと、さらにしぼむのかしら〜(ため息)。
傷も線一本とは言え、思ったよりも長いし(8センチぐらいある・涙)、やっぱりしばらく経つと、色々と愚痴が出てきますね。術前に術後はどうなるかっていう話を、もう少しきちんとしなかったことがちょっと悔やまれます。なにが不安なのかがわかっていたのに、それを解消するための行動ができなかったことも。まあ、この辺りは、「切らない治療」というのが主流になれば、多少は解消しやすくなるんでしょうね。
私は、傷が残ることや、乳房が変形したり、術後にしぼんだりすることがイヤだったんじゃないんです。そうではなくて、術後にどうなるのかという現実的なことを、可能性の話でもいいから知りたかった。でも、何度、説明を聞いても私は理解できず、最後まで話の落としどころが見つかりませんでした。何度も説明してもらってるのに理解できない私って、本当はバカなんじゃないかとまで思ったぐらいです。恐らく、やってみないとわからないところもあるのだろうけど、実際はボンボンの術後の発言にあった「どう説明していいかわからなかった」によって、意思疎通がとれてなかったことが判明したのですが、これで片付けてしまってよかったことなのかなと、やっぱり未だに思っています。
わかってる、私はしつこいけどな!

2013年4月24日水曜日

読むと役に立つかもしれない本

愚痴とかなんとかシリーズ(シリーズだったのか?)は、私が乳がんに対して漠然と考えてることを書いているんですが、今日はちょっと趣を変えて。

医療統計はじめました

いろいろと治療法に関して検索などをしていると海外の論文などをちら見することも増えますが、文系の私が一番読んでいて苦労するのは、英語ではなく、実は統計です……。

統計学が最強の学問である

西内 啓 / ダイヤモンド社


最近のベストセラー本で上記の『統計学が最強の学問である』というのがありますが、巷では統計学が流行っており(統計学が流行る背景ももちろんあるんですけど)、それに乗りつつちょっと学び始めてみました。この本にもあるのですが、そもそも統計学というのは、公衆衛生学とか疫学が生みの親です。

だったら、医療に関する統計について知った方がいいかなと思い、その入門書として手に取ったものがとてもわかりやすいものでした。これから乳がんに関する論文を読むために、統計学を学びたいなーと思った方は、ちょっと目を通してみてはいかがでしょうか? 少なくとも、他の方が書いている闘病Blogを読んで一喜一憂するよりも、きちんとした情報を得られるようになった方が気が楽になることもあるのではないかと思うのです。

宇宙怪人しまりす医療統計を学ぶ (岩波科学ライブラリー (114))

佐藤 俊哉 / 岩波書店


この本以外にも、統計学について10冊ほど読んでいるところです。実はこれは最近の仕事でもあり(治療費を稼ぐために! もう仕事に戻ってます・笑)、ある程度読み終わったら、まとめの記事にする予定です。記事は公の場に出すことになりそうなので、またそれはその時に。私の統計学の知識もきっと役に立つぐらいになっていることを祈って。

遺伝子医療の事実と希望から、身体の将来を予測する
また、何度かOncotype DXの話を書いていますが、実際にこのような遺伝子を使ったパーソナル医療の全体像をつかむのに、最適なのではないかと思うのが次の本です。遺伝子医療の事実と希望が非常に読みやすい形でまとまっている良書です。

遺伝子医療革命―ゲノム科学がわたしたちを変える

フランシス・S・コリンズ / 日本放送出版協会



ちょっと前に国際関係や外交政策に関するジャーナリストのトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』という本がヒットしたことを覚えているでしょうか?IT(情報テクノロジー)の発達により、階層や地域の壁が取り払われる(ボーダレス化する)といったことを説いた内容でした。実際に医療もそのフラット化する世界の一部に取り込まれており、現在、遺伝子医療にはどんな人でもアクセスが可能になりつつあります。しかし、その一方で、フラット化された世界においては、人それぞれに情報が与えられる機会が均等になるわけではありません。がんは情報戦であるとよく言われますが、フラット化された世界では、人は主体的かつ能動的に情報を入手し、それを活用することで、初めて恩恵が受けられるのです。そして、医者との関係をフラット化するには、患者として積極的に治療に関わる必要があるのではないかと思っています。

ちなみに、この本の中にも、遺伝子発現解析により抗がん剤を利用せずに済んだ乳がん女性の話が出てきます。アメリカの話のようなので、恐らく、ここで言う遺伝子発現解析とはOncotype DXのことでしょう。その他、乳がん関連では、遺伝子検査をして(Dx)処方する(Rx)薬品として、HER2陽性乳がんのための、分子標的薬のトラスツズマブが取り上げられており、また、抗エストロゲン薬のタモキシフェンは、体内でCYP2D6によって酵素が作られない患者には薬効がないため、おそらくはこれに対するDxRxが近い将来行われるようになるだろうといった話が記されていました。最後の話は、最近よく聞きますね。

なお、この本の著者は、アメリカでヒトゲノムプロジェクトを率いていたトップサイエンティストなのですが、一般向けに書き下ろしているというのもあり、どの話も文系の私でも非常にわかりやすく、かつ知的好奇心をそそる内容です。「人は誰もがたくさん遺伝子的欠陥を抱えて生まれていることを認識しておこう。完全な人間など一人もいないのだ」という一節が特に心に残ったのですが、「完全な人間など一人もいない」、これこそが生命の本質を表しているのではないでしょうか。そして、遺伝子的欠陥はその人ごとに違うため、ある人に合う治療がある人には合わないということがあるということ。画一的な医療を受動的に受けるのではなく、まずは人体そのものに対する考え方を私たち個人個人が変えて行かなくてはならないということを強く感じました。

どうしても病気になると、その病気のことばかりについて狭い範囲で調べてしまうと思いますし、それは大切なことです。しかし、一歩下がって、自分が受けている(もしくは受けようかと思っている)治療をとりまく全貌というのを広い視野から検討することで、自分にとってよりよい選択肢を選ぶことができるようになるのかもしれません。

話はちょっと戻りますが、海外の論文を読む際は、もちろん英語も最初は単語がわからずに苦労してましたが、読んでいるうちに頻出単語は覚えてくるので、最近はExtractやAbstractぐらいであれば、それほど苦労せずに読めるものも増えてきました。その中で最近読んで知ったのが、the Ki-67 labeling indexの「Ki」と「67」の意味。治療そのものとはまったく関係ないのですが、ちょっと面白かったので。

The Ki-67 antigen was originally identified by a German group in the early 1980s, by use of a mouse mAb against a nuclear antigen from a Hodgkin's lymphoma-derived cell line. This non-histone protein was named after the researchers' location, Ki for Kiel University, Germany, with the 67 label referring to the clone number on the 96-well plate.

��訳)Ki-67抗原はもともとホジキンリンパ腫由来細胞株から核抗原に対するマウスモノクローナル抗体を使用することにより、1980年代初頭にドイツのグループによって同定された。この非ヒストンタンパク質がKiと名付けられたのは、研究者がいた場所である、ドイツのキール(Kiel)大学にちなんでおり、67ラベルは、96穴プレートのクローン番号を参照している

ということで、Kiはキール大学から、67はプレートのクローン番号だった、というオチです。KiってHER2みたいな長々とした名前(human EGFR-related 2/nue)の頭文字みたいなもんなんじゃないか?と思っていた私にとっては、へーへーへーと、どうでもいいうんちくがまた増えてしまった……。

ちなみに、96穴プレートというのは、こんなやつです。こちらも、へーへーへーって感じですな。クローン番号というのは、どうやらこのプレートを使う際には、必ず番号が振られるようなのですが(クローンを扱っているからクローン番号なんだと思います)、それが67だったということみたいです(この辺はあやふやですみません……)。

なんてどうでもいいうんちくを、どんなに調べたところで、私の乳がんが再発しないってわけじゃないのがまた腹立たしいことです(笑)。あと、本に関してですが、基本的に私個人は、闘病を扱う書籍は有名人が生還するか、もしくは一般人なら死なないと売れないというのが(ビジネスライクに)、また腹立たしいことなので、読む気もしないし、このBlog上で扱う気もしません。自分が死に直面すれば、話は変わるかもしれませんが。

2013年4月22日月曜日

「標準治療」とは4:全身療法について

乳がんの標準治療では、以下の3つがセットになることが多い。

・外科手術
・放射線治療
・ホルモン療法、化学療法、分子標的療法
��上記の3つは全身療法であり、これらの内容はがん細胞増殖に関係する因子の発現や、がんの種類によって変わる)


今回からは現在の乳がん治療において、主軸になりつつある、全身療法に関してまとめてみる。

・乳がんのサブタイプが決まる要因
ひと口に乳がんといっても、タイプは1つではない。次の分類やグレードなどを使って、そのがんの人となり的なものをさらに細かくサブタイプ化し、そのサブタイプに合わせた治療がおこなわれる。

・組織型による分類
・免疫染色による分類
・組織学的異型度によるグレード
・その他の予後解析法
なお、上記以外にも、リンパ節への転移や腫瘍径など、手術時に摘出した腫瘍の病理診断も加味される。

・組織型による分類
組織型による分類とは、いわゆる乳がんの組織構造とがん細胞の特徴によって分類したもの。いわゆる、非浸潤、浸潤、といったところから、乳管癌、小葉癌などがあり、これは日本乳癌学会の取り扱い規約にて、以下の内容がまとめられている。なんか頑張って表を作ってみたけど、あまり最近はこの分類には意味がないかも。最初のフィルターの役割って感じで(笑)。

以下は乳がんの組織学的分類(日本乳癌学会)より


・免疫染色による分類
免疫染色による分類とは、病理組織の標本を染め分けることで可視化される、がん細胞に存在する特殊な受容体(レセプター)を発見し、その発現度合により、タイプを振り分けることである。各レセプターは外部から何かしらの刺激を得ることによってがん細胞が活性化するため、これら受容体の存在を調べることで、がん細胞がどんな「餌」によって、増殖しているのかがわかる。

特殊型乳がんの一部には適用されないが、通常の乳がんの場合は以下の2つのレセプターの発現を評価し、その発現度がサブタイプ分類に使われる。発現していれば陽性、発現していなければ陰性であり、基本的に陽性=そのレセプターに対する治療が効きやすいと思っていただきたい。
・ホルモン受容体
・HER2タンパク

ホルモン受容体(レセプター)には、女性ホルモンである”エストロゲン”もしくは”プロゲステロン”の2つがあり、この受容体があるがん細胞は、上記のホルモンの刺激によって増殖する。何度か病理診断などに関して略称で書いてきたが、「ER」=エストロゲンレセプター、「PgR」=プロゲステロンレセプターのことだ。これらががん細胞の核に存在しているのならば、そのレセプターに対して女性ホルモンという「餌を絶つ」、いわゆる兵糧攻めを行うのが「ホルモン療法」である。ちなみに、ホルモンレセプター陽性乳がんは、乳がんの中でもっとも多く約70%を占め、ホルモン療法自体は、乳がんの全身療法として古くから存在する治療法である。

HER2(human EGFR-related 2/neu)タンパクは、がん細胞の膜(細胞表面に存在する糖タンパク)に存在する受容体型キナーゼである。このHER2を過剰発現する乳がん(HER2陽性乳がん)に対しては、HER2を標的にした分子標的治療薬を用いた分子標的療法が行われる。乳がん全体の約25%を占めるといわれるHER2陽性乳がんは、がん細胞の増殖速度が非常に早く、数年前までは、もっとも予後が悪いものとされてきた。しかし、このHER2タンパクのみを狙い撃つための分子標的治療薬(トラスツズマブ、商品名:ハーセプチン)が登場したことにより、予後が大きく改善された。

トラスツズマブは日本において、2001年に転移進行性乳がん(いわゆる再発や遠隔転移)に対しての治療薬として承認されたのち、2008年にHER2過剰発現乳がんの全身療法への追加適用が承認されている。また、現在、HER2陽性乳がんに対する分子標的治療薬には、トラスツズマブ以外にもいくつか存在している。個人的に思うに、ここ数年でもっとも生存率が上がったサブタイプじゃないかと。

・組織学的異型度によるグレード
乳がんの細胞・組織学的な特徴のことを悪性度(グレード)と呼び、この数字はがんの顔つきとされている。グレードは組織学的異型度ともいわれ、乳がんの予後を推測するためのものである。評価には腺管形成の程度、核の多形性、核分裂数の3つの因子を3段階にスコア化し、次にこれらの数値を合計して、3、4、5点=グレード1となり、6、7点=グレード2となり、8、9点=グレード3と判定しているようだ。生存率はグレード3、2、1の順に不良であることが明らかとされれいる。

・その他の予後解析法
先にも書いたとおり、ホルモンレセプター陽性乳がんは、全体の70%程度を占めることから、さらなるサブタイプ分類が必要になっている。たとえば、ホルモンレセプター陽性乳がんの中にも、抗がん剤を上乗せした方が生存率の改善が改善されるサブタイプがあるとされており、そのサブタイプを見極めるために、上記以外の予後解析法が使われるようになっている。

Ki-67(the Ki-67 labeling index)
細胞の核に局在する、がん細胞が分裂しようとしている時に出てくるタンパク質のこと。このタンパク質は細胞の増殖の能力を示す物質と考えられており、悪性度の判定に用いられている。Ki-67の抗体で免疫染色を行うとがん細胞の核が染色され、その500個~1000個のがん細胞における、Ki-67抗体の標識率(陽性率)を表す(ちなみに、このカウント方法が色々あるようで、実はこのki-67は信憑性がどこまであるのかが謎)。ホルモンレセプター陽性の乳がんのみの治療指針とされているもので(なぜなら、予後はホルモンレセプター陽性の方がホルモンレセプター陰性よりも良いので、この数値自体がホルモンレセプター陰性乳がんには関係なくなる)、標識率が14%以上であると、予後が不良であることが報告されている。

多重遺伝子診断
これは最近使われるようになったものなので、詳しくは後日説明するが、予後解析法の1つとして取り入れられるようになったのが、予後予測因子を使った多重遺伝子診断だ。その方法は大きくRT-PCR法とDNAマイクロアレイ法の2つがあり、前者の代表的なものがOncotype DX、後者の代表的なものがMammaPrintである。

というわけで、全身療法は上記のさまざまな分類を用いて、治療方針を決めるようになっている。基本的には
・ホルモン療法(抗エストロゲン剤など)
・化学療法(いわゆる抗がん剤など)
・分子標的療法(ハーセプチンなど)
の単独または組み合わせになるが、どのように組み合わせるかは次回に書いてみたい。

そして、こんなニュースを読んでげっそり……。というか、最近の乳がんは、初期治療で抗がん剤を使う症例が減ってきてるように感じるので、必ずしも抗がん剤を治療費に上乗せしないでもいいと思うんだが、やっぱりフルコースでのトータルがわかりやすいか。特に、抗がん剤に感受性が低いとされるサブタイプには、基本的に抗がん剤は用いないというのが、最近の風潮っぽい。その反面、どうして日本は乳がんによる死亡がこんなに高いんだろう?というのは、不思議でもあるんだけど。まあ、現状の生存率は、10年であれば、2000年頭であり、その頃はまだハーセプチンも使われてなかったわけだから、10年後には、また違った数字になっているんだろうし、大きく改善されるといいなと思っている。
日本においては、手術の断端陽性の基準も、欧米に比べると厳格だから、局所コントロールは厳しくできてるだろうし、全身療法もかなりガイドラインに則ってるって感じがするし。なのに、生存率が改善してないのはなぜなんだろう。そのあたりは、もう少し調べていきたい。あと、ザンクトガレン2013の報告をちらっと見かけたが、2011年とあまり変わってない感じがした。サブタイプ分類の呼び名がよりわかりやすくなり、より遺伝子発現解析の結果を反映しているような感じになったのだろうか。
しかし、Oncotype DXは高いです。MammaPrintもですけど。早く保険収載されるようになればいいのに……と思います。

2013年4月21日日曜日

外科手術までの費用

手術ってすごいお金がかかるのかなと思ってたのですが、思っていたよりもかかりませんでした……。理由の1つは、先に「健康保険限度額適用認定証」を交付してもらっておいたからです。もちろん、これがなくても、後で健康保険組合から限度額を超えた分は戻ってくるのですが、最初から支払う額が少ない方が絶対にいいです。国民健康保険でももちろん適用されますので、高額医療費がかかりそうな際は、申請しておくことをおすすめします。

●某大学病院にて
入院5日:乳房部分切除(温存)術、センチネルリンパ節生検、麻酔、投薬など(包括診療)
86,710円(108,197円を高額医療費として支払い時に支給)

つまり、この認定証がなければ、20万円近くになったのですが、認定証のおかげで、なんと10万円以下で済みました。日本の医療制度は素晴らしいですね。

あと、差額ベッド代は含んでません。実は、差額ベッド代は上記医療費の半額以上の金額(約5万円)、非常にアホな出費になりました。これが3日の入院だったら……、ボンボンのバイトがなく、術後翌日に退院できていれば……と思わずにはいられません(笑)。温存術+センチネルリンパ節生検陰性でリンパ節廓清をしなかった方は、入院が2泊3日や1泊2日という方も多いようです。病院によっては、入院当日手術、同時再建でも次の日退院とかあるぐらい、乳がんの手術はさっさと病院を追い出されるのが特徴です。

病棟の看護師さんの話では、内臓系だと筋肉を切るのでかなり痛みが強いらしいのですが、乳房の場合は乳腺と脂肪だけなので、痛みはそれほどないとのこと。確かに、手術翌日から病院内を普通通りに歩けてましたから、今思うと、本当に回復は早かったですね。

手術前の切除範囲決定までの費用

乳がんの確定診断が出たあとは、某大学病院へ紹介状を持って診療を受けに行きました。すでに針生検で乳がんの確定診断が出ていたので、病理に関してはセカンドオピニオンを受けませんでした。というのは、その確定診断を出したところが、通常セカンドオピニオン先としてよく使われているところなので、こうなるとセカンドオピニオンの出し先がないなぁというのが本心で。ちなみに、乳がんになられた方はよくご存知だと思いますが、私の乳がんの病理診断をしたのは、乳腺の病理確定診断を専門にしている坂元記念クリニックです。診断書の病理医のサインも坂元先生で、ちょっとびっくりしました。ほんとかしらー?と(笑)。

●某大学病院にて
1回目:乳腺外科初診、血液検査、胸部レントゲン、肺活量測定、心電図、乳腺超音波検査
9,920円
この日に、手術までのおおまかなスケジュールが決まる。

2回目:麻酔科外来
210円

3回目:FDG-PET/CT
27,800円

4回目:乳腺MR
7,890円

5回目:乳腺外科再診
210円
検査一式を元に、術式と切除範囲の相談。T1N0M0=ステージ1の臨床診断。術式はここで決まらず、手術前にもう一度決めることに。

手術前の検査一式で、約5万円って感じですね。FDG-PET/CTじゃなくて、CTを行って遠隔転移を検査したり、骨シンチグラフィーという、骨への遠隔転移を見る検査をやったりすることも多いようですが、某大学病院では、PET一発で終わらせるって感じでした。どっちが安いのかはよくわからないですが。

私の場合は、大学病院を受診した時点で、すでに乳がんの確定診断があったので、手術までは早い方だと思います。ただ、受診時にMRが1ヶ月先まで空いてなくて、ボンボンが電話口で「それじゃあ困る!」と、怒っていたことを今更思い出した……。で、なんか裏の手みたいので、予約を入れてくれたようでした。通常の外来用の検査室じゃなかったし。

乳がんの確定診断までの費用

乳がんになると、どれぐらいお金がかかるの?というのは、結構気になるところなのかもしれないので、一応そのあたりもまとめてみるかと。まずは、確定診断までにかかったお金をまとめてみます。

●某クリニックにて
1回目:マンモグラフィー撮影、乳腺超音波検査、針生検による病理診断標本作製など
9,650円+450円(投薬)=10,100円


2回目:血液検査、胸部レントゲン、乳がん確定診断後の免疫染色病理標本作成(HER2、ER、PgR)、腹部超音波検査(病理診断が小葉癌だったので、先生的に腹部への転移を先に確認したかったみたい。転移はもちろんなしでよかったんですが)など
9,950円

3回目:紹介状(診療情報提供書)作成など
1,260円

2万円ちょっとでがんの確定診断が出ました。

2013年4月19日金曜日

「標準治療」とは3:放射線治療

乳がんの標準治療では、以下の3つがセットになることが多い。

・外科手術
・放射線治療
・ホルモン療法、化学療法、分子標的療法
��上記の3つは全身療法であり、これらの内容はがん細胞増殖に関係する因子の発現や、がんの種類によって変わる)


実はちょっと間が空いてしまったのだが、放射線治療に関してまとめてみる。


乳がんに対する放射線治療の種類

乳がんに対する放射線治療には、乳房温存術後や乳房切除後に局所再発を防ぐために行うものと、再発・遠隔転移の部位(局所、骨、脳など)に対するものに大別すると2種類に分類される。

現在もっとも多く行われているのは、乳房温存術後の局所再発を防ぐための、放射線治療だろう。

この、乳房温存術後は、乳房へ放射線を照射するが、その治療は、通常リニアックという治療機械で行われる。リニアックとは、こんな感じの機械で、放射線が放出される部分は大きく左右に動く(ちなみに、私が通っている某大学病院はこの会社の機械が入っている)。

リニアックは、放射線治療用のX線や電子線を発生させる最も一般的な装置で、頭から四肢まで、全身のあらゆる領域の病変の治療が可能な汎用機である。ビームの出口にマルチリーフ・コリメーターと呼ばれる5mm厚の金属板が並んでおり(こんな感じ、Youtubeの動画)、この金属板を移動させることにより、好きな形状にX線照射野を作ることができる。

乳房温存術後に行われる放射線治療の目的と効果
乳房部分切除といった、乳房を残して腫瘍を切除する場合、将来的に同じ乳房に対する局所再発が20~30%程度に生じると言われている。部分切除後に放射線治療を行うことにより、局所再発を2~3%程度に抑えることができ、乳房をすべて切除した場合とほぼ同じ効果を得ることができるとされている。ただし、放射線はあてたところ以外には効果はないので、遠隔転移を抑制することはできず、あくまでも局所再発を抑制するためにこの治療は行われている。

照射の際は、両腕または片腕をあげた姿勢で、手術をした側の乳房全体に放射線を照射し、原則的に、月曜日から金曜日までの週5回、合計20~25回照射することが多いようだ。乳房全体を照射する場合はX線という放射線で、1回2Gy(放射線の単位で、グレイ)、合計40~50Gyを照射する。また、腫瘍のあった範囲のみに照射部位を小さくし、電子線という放射線を使い、2~3Gyをさらに3~5回ほど追加することが多い(ブースト照射)。乳房全体の照射とブーストを合わせた照射量は50~60Gyとなることが多いが、腫瘍個々のケースによって異なるので、詳しくは担当医などに聞いてみるのが良いだろう。

放射線治療にかかる時間は、治療室に入ってから出るまで、10~15分程度と短く、実際に放射線が出ている時間は1~2分程度で、痛みや熱さなどはまったくない。

放射線治療の影響
放射線治療の副作用としては、いくつかあるが、それほど深刻なものが起こることは非常に少ない。乳房に放射線を照射しても髪は抜けず、吐き気などもない。人に寄っては、少し疲れやすくなったり、白血球が減少したりすることもあるが、まったく起こらない人もいる。ただし、皮膚には、以下のような急性反応として影響が出るのが普通だ。

急性反応(皮膚の炎症)
治療中2週間ぐらいすると、乳房の放射線を照射している部分だけが、日焼けのような状態になり、赤くただれたり、水膨れができたり、かゆみや痛みなどを感じたりすることがある。その程度には個人差があるが、日焼けに弱い人ほど強く出ると言われている。かゆみや痛みが強かったり、水膨れやただれてしまった場合は、放射線科の医師から軟膏を処方してもらえる。

晩期障害
ごくまれに、「晩期障害」といって、治療後数ヶ月から数年たって、次のような症状が出る人もいる。

・放射線肺炎:100人に1人ぐらいの頻度で起こる
・上肢の浮腫や乳房の変化:100人に5人ぐらいの頻度で、上肢がむくんだり、縮んだりする
・照射部位内の肋骨骨折や放射線心膜炎:100人に1人いるかいないかの頻度で起こる
・2次発がんの増加:抗がん剤と同程度とされている

放射線治療が終了した後も、上記の晩期障害を防いだり、診断したりするために、放射線科の医師の診察が行われる。

2013年4月17日水曜日

愚痴とかなんとか5:乳がんの特徴

「標準治療」とは?、の続きを書いてないので、乳がんになった方や詳しい方以外は、前回のエントリーの最後にまとめて書いた病理診断の結果の意味がまったく意味不明だと思うが、その中でもちょっと書いたOncotype DXをなぜ受けたのかと、すでに一部がスタートしているホルモン療法に関連して悩んでいることなどを、次回の診察までに自分の中できちんとまとめておきたいと考えている。

その理由は、"More"以降に書いておくが、Oncotype DXの結果によって、ボンボンの元から離れることを決めたから。希望としては離れたいのだが、まだ結論が出てないので、なんとも言えないものの、別にボンボンが嫌いになったわけでもない。むしろ、普段自分の回りにはいないタイプの人なので、面白くて好きなんですけど(笑)。

今日は、乳がんという「がん」の特徴に関して、ちょっと書いてみたい。
このがんの特徴がわかると、私がなぜ今悩むのかが、少しは伝わるのではないかと思う。

多くの人が、今見えている「がんの腫瘍」を取り除けばそれで悪いところはなくなったと理解されるのではないかと思うが、実はそうではない。
他のがんに関しての知識が私にはあまりないので、乳がん以外にはわからないのだが、基本的に乳がんは乳房だけの話ではなく、「全身病」として捉えるのが最近の考え方である。

以前、乳がんの手術というのは、初期であればがんが乳房とその付近にとどまっているという考え方のもと、乳房だけでなく胸筋までを切除する術式が選択されてきたが、この術式にて手術を行っても、再発や転移などが大きく減少したわけではなかった。比較的初期の段階と見えても、すでにがん細胞はリンパ管や血管などに入り込んでいる、つまり、転移が始まっている可能性があるというわけである。そのために、現在の乳がんにおける外科的手術は、できるだけがんを(取り残しなく)小さく切り取るという方向にある。がんは小さく取って、すでに体内に始まっているかもしれない転移を食い止めるという、全身療法に主軸が置かれるようになっている。

ただし、転移しない乳がんというのもある。乳がんの中でも「非浸潤」と呼ばれるものは、乳管や小葉の細胞膜内にとどまっている状態のため、理論上転移することはなく、がんさえ取りきれれば「治る乳がん」と言われている。しかし、非浸潤の状態で見つかるのは現在乳がん全体の数%〜十数%程度とされており(正確なデータがないのでよくわからん……)、ほとんどの乳がんは、「浸潤性」と呼ばれる、がん細胞が乳管や小葉を包む膜を突き破って広がり、周辺組織に広がっている(この状態を浸潤と呼ぶ)状態で発見される。この状態になるとしこりを形成しやすくなるため、自己発見されることもある。そして、その浸潤域がどんなに小さくても、がん細胞は血管やリンパ管内へ入り込める状態であることから、すでに目には見えない全身への微小転移は始まっている可能性があると考えられている。

現在、すべての浸潤性乳がんは、非浸潤を経て浸潤性に移行すると考えられている。乳がん検診が行われる理由は、乳がんを1つでも多く非浸潤の状態で発見することでもある。つまり、乳がん検診で発見されるもっともラッキーな例とは、マンモグラフィーやエコーのみで発見できる、小さな非浸潤の乳がんで、しこりはまったく触れないことも多い。そして、この状態の乳がんは病期(ステージ)0となる。

もちろん、浸潤性乳がんのすべてが再発・遠隔転移を起こすわけではない。早期乳がんとよばれる、病期(ステージ)1の乳がんであれば、浸潤しているとはいえ腫瘍の大きさは2cm以下であり、それほど大きな範囲ではなく、リンパ節への転移もない。つまり、まだ転移が本格的に始まっていない可能性が大きく、それが生存率にも見て取れる。だが、腫瘍の大きさが小さいから必ずしも転移が始まっていないとは言えないし、腫瘍の大きさが大きいから必ずしも転移が始まっているとも言えない、そして、どちらなのかは誰にもわからない、というのがこの乳がんというがん最大の特徴なのだ。

だから、患者は悩む。どの全身治療をすれば、私の乳がんは”絶対”に再発したり、転移したりしないの?と。しかし、現状でできる限りの全身治療を行っても行わなくても、結果として再発しない人も転移しない人もいるし、再発する人も転移する人もいる。そして、それが現実だ。どんな治療を上乗せしても、生存率が100%にならないという現実に、正直なところげんなりする。もちろん、治療を上乗せすることで、ある程度の生存率は上がるけど(ただし、治療が効く効かないの見極めも大切なものの)、そもそも健康な人の生存率がつねに100%であるとすれば(ってわけでもないけど)、どうやってもそこには届かない生存率を抱えたまま生きるということは、ストレス以外になにものでもない。

これから私が受ける全身療法とは、すでに始まっているかもしれない、再発や微小転移を食い止めるための治療とも言える。そして、どのような治療を行うかは、TNM分類による病期はもちろんだが、術後の病理診断の結果により、サブタイプと呼ばれる型が決まり、治療方針が導き出される。ここまでの全身療法までを含めて、乳がんの初期治療となる。乳がんの初期治療を行えるのは、当たり前だが一生にたったの一度だけで、二度目はない。悔いのない治療をすべて受けきるために、私は真剣に悩んでいる。だから、どんな治療を受けるかを最終的に決めるために、標準治療ではない、遺伝子検査のOncotype DXを最終的に受けることにした。

次は、「標準治療」とは?の続きとして、乳がんのサブタイプとOncotype DXについて続けて書いてみたいと思う。放射線治療の話も。

次の診察が終わり、放射線治療を受けたあとは、診断を受けたクリニックに戻って治療を進め、1年に1回の検診だけを大学病院で行う予定なので、それまでに不明に思っていることは、すべて解消しておきたい。わからなかったり、納得がいかなかったら、これこそセカンドオピニオン!ですな。1度ぐらいは、セカンドオピニオンを聞きに行ってみたいんですが、今までの治療に関しては、特に疑問に思ったり、本当にこれでいいの?っていうこともなかったので、そのまま今の治療を続けてるって感じなのです。

あ、クリニックに戻るのは転院ではなくて、ボンボンが嫌いになったわけでもなくて(笑)、前回の診察の際に、あまりにも患者と時間に追われて疲れてるボンボンを見たのと、ボンボンからも●●先生のところに通った方が時間に融通が効くし、うち(大学病院)よりも検診用の設備がいいからと勧められたからだ。これは本当の話で、エコー機材とか、絶対にクリニックの方がいいし、先生の腕もいい。実際、ボンボンとこのクリニックの先生の間には、きちんとしたパイプがあるのも知っている。例えば、ボンボンから、クリニックの先生にマンモトーム生検(吸引ができる針を使った生検のこと。マンモグラフィーなどでしか確認できない、小さな病巣の生検をするのに適している)依頼していることも知ってるので、「それがいいですね」と了解し、医療連携手帳を使うことに。

ただ、私にとって立地に関しては、クリニックよりも大学病院の方が通いやすいんだよね。会社からも、自宅からも。でも、ボンボンの外来は基本的に週2回しかなくて、日によっては激混みなので、時間に融通が効くクリニックの方が私にとっては都合がよいし、ボンボンにはたくさん臨床や手術、化学療法を重ねて、もっと患者から信頼される医師になって、ぜひ出世していただきたいのであります(たぶん無理だけど)。次にボンボンの治療を受けることになるなら、それは、私の乳がんが再発した時や転移した時になるはずなので、できればこの先、治療という形では顔を合わせないですみますように。

ちなみに、診断してくれたクリニックの先生は私をボンボンの元に送り出す際に、恐らく術後はホルモン療法になるだろうから、そうなったら戻っておいでと言ってくださっていた。あと、たぶん、クリニックの先生は私みたいな人と話すのが好きっぽいので(仕事柄、大体わかる)。すでに診断の時から、他の病院の話など、かなりブラックなことを聞いていたので、きっと乳がんに関する面白い話をいろいろ聞けそうだ。もちろん、なぜボンボン(事前の話だと、この大学病院でナンバー2の腕利きって聞いてたんだが、本当なのか未だ不明)を勧めたのかも聞きたいし、それはそれで、ちょっと楽しみ。

実は、Oncotype DXを私に初めに勧めたのは、このクリニックの先生なのだ。診断時に、もしも術後の病理結果が対象になるなら(恐らくなるだろうから)、値は張るけども年齢のこともあるし、受けた方がいいと言われていた。私は、乳がんにはなったものの、自分が信頼をしている先生達の間を行ったり来たりできる、恵まれた患者なのかもしれないですね。

2013年4月15日月曜日

病理診断:Oncotype DXを追加

だらだらとした日常を過ごし、今日は術後初めての外来。

実は月曜日にボンボンの外来を受けるのは初めてだったんだけど、どうも月曜は非常に混んでいるようだ。予約時間の10分前に来たら、まだ2時間前の予約の人の診察をしていた。

本当に乳腺外科って混んでるんだなぁと、実感。しかも今日の外来担当はボンボンだけなので、ここにいる人達が全員、ボンボンが受け持っている患者だというのが信じられないけど。みんな、ボンボンが主治医でよく不安にならないよな〜(という私もだが・笑)。

私が診療を受けている大学病院の乳腺外科は、基本的には、他の医療機関からこの大学病院の先生個人を指名した紹介状がないと受診できないので、何かしらの診断がないと、たぶん診察は受けられないはず。だから、ほとんどが、どこかの医療機関で乳がん(もしくは乳腺疾患)という診断を受けていないと、ここまでたどり着くことは少ないのだろう。まれに飛び込みでボンボンに当たっちゃった人っていうのもいるのかもしれないけど。

すごく待つのかな?と思ったが、人によっては5分ぐらいで終わっているようで、私の番は予定より1時間ちょっと過ぎてからまわってきた。診察室に入って挨拶をし、椅子に座ると聞かれる。
「普通に生活してますか?」
「はぁ?(え、なに、この超意味不明な質問)えっと、普通に生活してます……」

しょっぱなから、ものすごいアバウトすぎる質問が来たー!!
もうちょっと、範囲狭めないと、これ、患者さんは困っちゃうよ、どう答えていいか。
せめて「生活に支障はないですか?」とかね。
しかし、よく見ると、ボンボンは超疲れてますね……。あ、今まで気がついてなかったけど、白髪も沢山ありますね……。大変なんですね、たぶん。

傷を確認しましょうと、よっこいしょと乳を出すと、ガーゼをはがしてくれる。
お、本当に傷は1本しかない。傷跡はどうしても残るだろうけど、縫ってはないようなので、それほど目立たなくなりそうだ。気にしていた乳房の形も、変形というほどは変わってない。ただ、よくよく見ると、乳房内に脇から脂肪を移動しているので、左側に多少の凸凹ができていた。とはいっても、「あちゃー!」ではなくて、「ま、こんなもんでしょ」と「あら、思ったより大したことなかったわネ」の間ぐらいで、それほど悪くない。

「それほど変化がなくて、よかったですね」
「はい、思ったよりも変わらなくてよかったです。しかし、失礼ですが、私、正直言って、最後まで先生の説明を何度聞いても、自分の乳房が手術後にどうなるのかが、まったくわからなかったんですが」
と、ダメ出しをしてみた。

「私も何と説明していいかわからなかったんです。見せられる写真とかがあればよかったんですが」
と、なんとも正直すぎる(笑)告白。終わったことに対して文句を言うつもりは全然ないんですが、それを言うなら、私の乳を写真撮っとけや!と思ったが、手術後だけあっても手術前の写真がないので、何がどうなったかわかりにくいだろうなぁ……。しかし、ボンボンはこれを読んでいるのだろうか……。不安だったら、医師から写真見せてもらえって書いてあるよ!

Q27.手術後の乳房がどのようになるかイメージできないので不安です。どのような準備をするのがよいでしょうか。
A 担当医に具体的な手術跡の状態を、絵や写真でみせてもらいイメージをもつことが重要です。また、手術跡の位置や許容できる乳房の変形の程度について希望を担当医に伝えるとよいでしょう。

患者さんのための乳がん診療ガイドラインより


それ以外にも、またもやウッカリ発言があったのだが、もうどうでもいいので割愛。

その後は病理診断の話。このタイトルにもあるとおり、1つ検査(Oncotype DXという、遺伝子検査)を追加したので、その結果が出てから病理診断はもう少し詳しく書いていきたいと思います。基本的に、病理診断の結果も、pT1N0M0で、病期(ステージ)1であることは、臨床時と変わってません。腫瘍径は最大1.0cm、断端は陰性、センチネルリンパ節生検は0/3、ER++、PgR++、HER2は0(陰性)、Grade1、Ki-67は5%と、典型的なサブタイプ、Luminal Aですね。つまりは、ホルモン療法で5年間、化学療法(抗がん剤)を用いないという治療方針になることが多いのですが、Oncotype DXの結果が出てから最終的に決めることに。

2013年4月9日火曜日

愚痴とかなんとか4:このごろの私

すでに手術は終わり、あっさり退院して、なにもすることがなく、毎日ぼんやりとしている。
そろそろ次の治療の用意をしないとならないのだが、実はあまりやる気がしない。

本当のことを言うと、もう病気のことを考えたくないのだ。

最初のステップである外科的手術は、現在の病期においては、とても良い形でひとまずは終わった。まだ病理診断は出てないけど、センチネルリンパ節生検の術中迅速診断は陰性(転移を認めず)だったので、リンパ節郭清(リンパ節を取ること)はせずに済み、腕も自由に動くし、術後翌日に退院の許可が出るぐらい、順調だった。だから、あえて。

本当のことを言うと、もう私の病気は直ったと思いたいのだ。
本当のことを言うと、もう健康な体が戻ったと思いたいのだ。
でも、それはこの先、私の人生においては、二度とないのだ。

がんは、私がなった乳がんも含めて、とても理不尽で不条理な病気だと思う。

・外科的治療の対象になると、標準治療では乳房にメスを入れること
・全身療法で使う薬には、とても大きな副作用があること
・どんなに辛い治療を行っても、再発する可能性があること
・再発するまでの期間が他のがんにくらべて長く、晩期再発も多いこと
・再発/転移すると、完全な治癒は望めないこと

もちろん、今後の医療の進歩で、この理不尽で不条理なことは解消されていくのだろうけど、いったいどうして、こんなことを、今、無条件で受け入れなければならないのか、私は、理解ができない。
受け入れる受け入れないというよりも、受け入れられるわけがないことなのだから。

私は、何も納得していない。何かを納得したから、今の治療を進めているわけじゃない。
理不尽で不条理な治療に対する折り合いなんて、一生つかないだろう。

けれども、この先、この病気とどう付き合っていくのか、その方法は自分で判断をして、選択していかなくてはならない。理解しているのか、受け入れているのか、納得してるのか、折り合いがついているのか、そんなことはおかまいなしに、決断だけを迫られるのだ。

手術の話などは、少し戻って書いてます。あと、標準治療における全身療法の話。今、私は全身療法のための準備をしないとならないんだけど、薬の名前とかが覚えられなくて困ってます……薬の名前ってなんであんなによくわからんカタカナなのかしらねー。この辺りは、病理診断が出ないとわからないところでもあるんですが、いわゆる治療の本番、という感じになります。

2013年4月4日木曜日

入院と手術5(手術翌日と退院)

長かった夜が終わり、やっと朝が来た。

起床の6時より少し前に看護師さんがやってきて、心電図と血中酸素量を計るための機材と、点滴と尿道カテーテル、足に付けていたマッサージ機を外してくれる。やっと自由に体が動かせるようになった。一番最初にトイレに行く時だけ、看護師さんがきちんと歩けるかを確認するので、ナースコールをするように言われる。

尿道カテーテルを入れていると、尿意というのがどんなものかがよくわからなくなるようで、しばらくはトイレに行きたいという気にはなれなかった。が、寝ていることのほうが辛いので、とりあえず、トイレに行ってみようとナースコールを押して、看護師さんに来てもらう。起きて廊下を歩くと、特に問題はなさそうな感じだったので、トイレの入り口にてもう大丈夫そうです、とひとりでトイレに。だが、尿意を感じなかったので戻って来た。しばらくすると、やっと本当に尿意を感じ、もう一度歩いてトイレへ。が、かなりやばい感じになり、シャカシャカと早歩きで駆け込む。あら、私、大丈夫そうね、と思いながら用を足し、ついでに個室で乳を観察してみる。胸には胸帯と呼ばれる圧迫帯がきつく巻かれているので、どうなっているか、よくわからない。しかも左側をよく見ると、タオルで作ったお団子のようなものが付いていて、なるほど、ゴロゴロと寝返りしてもクッションがあったから痛くなかったのか、と納得。洗面台で顔を洗って、うがいをして、ちょっとさっぱりとした感じで戻ろうとすると、病室の入り口にボンボンを含めた乳腺外科の先生の集団が見えた。

あ、もしや、あれは私を待ってる?と思って、小走りで戻ると、そのうちの1人の先生に「あれ、もう歩けてる!」と、まるで「クララが歩いた!」ばりで迎えていただき、ボンボンがベッドに寝るように言う。胸帯を外して、傷のあたりを触っているようだ。「これなら大丈夫ですね。今日から、いつでも好きな時に帰っていいですよ」と、あっさり退院の許可が出た。

「ええ!もう帰っていいんですか?」と聞くと、退院後の外来の予約表をあとで渡すので、それを受け取ったら、いつでも帰っていいと言う。こんなにあっさり退院って決まるんだ。昨日の時点では、明後日ぐらいに退院できますよと言っていたはずだが、前倒しになってしまった。ただ、家族の都合もあるだろうから、まだ2〜3日いてもいいですよ、と。いや、帰っていいなら、帰りたかった。なぜなら、この病棟は古くて暗くて、私のベッドの側には窓もなくて、いつ日が昇って落ちてるのかがわからないので、ここにいることで、逆に病気になりそうだったから。

朝ご飯を食べて、母に退院していいって言われたと電話をすると、今日突然迎えに行くのは無理!と言われる。もちろん、それでいいんだけど。その後、父と母が明日の午前中に迎えに来てくれることになった。その間も、何度かチームの先生や看護師さんが、いつ退院するのか聞きにくる。そんなに早く出て行ってほしいのだろうかと思いつつ、私自身もいるだけでお金がかかるこの部屋に長居をするのはまっぴらだったのだ。

朝ごはんを食べると、またウトウトと寝てしまい、お昼ご飯を食べると、看護師さんが体を拭きましょうか?とお湯を持って来てくれた。私の場合は、手術後も腕の稼働域がそれほど狭まっていなかったので、どうしても動かすと痛くて届かない背中以外は自分で拭いた。その時に、初めて自分の乳をマジマジと見る。あれ、あまり変わってないみたいな。上から見ているので、よくわからなかったから、トイレに行ったとき、誰も来ないのを確認して、寝間着の前を開けて鏡で見てみる。やっぱりあまり変わってないような気がする……。手術前の写真はあえて撮ってないので、まったく変わってないわけではないのだろうけど、それほど変じゃない。左上には傷があって、ガーゼがあたってるからどうなってるかわからないけど、パッと見た感じは、それほどおかしなことにはなってないようだった。傷がどうなってるかが不安だけど、とりあえずは悪くないことにしておこう。

夕方、またボンボンが回診にやってきた。
「お元気そうですね〜?」「はい、元気です。明日帰ります」「お風呂もシャワーも、今日から入っていいですし、普通の下着も付けていいですよ」「傷のガーゼはそのままでいいんですか?」「そのままにしておくのが一番いいです。お風呂にもそのままバシャンと入って大丈夫です」「(出た!「バシャン」だって!)はぁ、バシャンとですか。わかりました。ありがとうございます」

結局その日も、あまりよく眠れない。相変わらず『深夜食堂』を読みながら夜を明かす。

次の日の朝、またもや教授回診があった。今日は取り巻きの中にボンボンもいて、私の手術の説明を教授にしていたが、やっぱりオドオドしていて、聞いているこっちがハラハラする。この人はたぶん、出世は無理なんじゃないか?と私には見えるんですけど(笑)。

そんなわけで、晴れて退院!
5日で娑婆に出られたのは、嬉しかった!

2013年4月3日水曜日

入院と手術4(手術当日)

気がついたら朝だった。病院は6時が起床時間で、放送が入る。

検温と血圧測定がいつものようにあり、その後もなんとなくベッドの上でゴロゴロとしていると、そろそろ手術の時間が近づいて来た。朝一番早い時間からの予定らしく、8時20分には手術室に入るという説明を昨日聞いていた。同意書を書いた際の説明では、順調に行けば、10時30分ごろに手術は終わるという。家族(父と母)は、それぞれに家族に関する用事があり、手術が始まる時間には病院に来られず、それぞれ手術中か終わったころ到着する予定。兄夫婦も来るとは言ってくれていたが、住んでいる家は病院からかなり離れているので、どうやら手術中になりそうだった。普通、家族が手術する場合、誰かが最初から最後までいるものなのだろうけど、乳がんの手術では何かあるということはなさそうなので、終わってから来てもらえればいいやと思っていた。

本当なら、ここでは配偶者などのパートナーなんかが来てくれるもんなんだろうけど、私にはそんな人はいないので、文字通り孤独である。シングル・がん・孤独と、シャレにもならない背景だが、それは手術の時だけでなく、この先もずっと個人的に背負っていかないとならないことなので、どうしようもない。私こそが、今流行の「お一人さま」なのである。

のろのろと体を起こすと、なんと昨日お見舞いに来てくれた友達が現れる。びっくりした。昨日、帰り際に「明日も来るよ」と言ってくれたけど、丁重に断ったつもりだったのに。話しながら用意を始めると、兄夫婦も現れる。たぶん、ここにこの時間に来るためには、朝かなり早く起きないと間に合わなかったはずだ。突然3人の訪問を受けて、嬉しいのはもちろんだったが、緊張も少しほぐれる。雑談をして、そろそろ時間だということで、3人に朝ご飯を食べに行くように促し、看護師さんと手術室に向かう。

手術室への扉を入り、準備室のようなところで手術用のうわっぱりみたいなものに着替え、なんだかよくわからないけど沢山人がいる前で名前や手術部位の確認をし、実際の手術室へと向かう。手術室は確認できただけで10以上あり、そのうちの1つへ。部屋はかなり広く、中央に手術台がある。すでに何人かいるが、誰も知らない人だ。手術台に乗って寝るように指示され、靴を脱いでよっこいしょと横になると、心電図などの機材が体に付けられて行く。寝た状態で正面を見ると、でかいモニターが天井から下がっていて、そこにどうやら心電図などのデータが表示されるようになってるみたいだった。ほう、ハイテクだ。

これから点滴をしますと麻酔医が針を右手の甲に入れようとしたが、右腕は全体的に血管が出にくくてなかなか入らない。しかも、入らない(失敗している)時は、なんとか入れようと押し込むからか、かなり痛い。3回ほど失敗して、最後の一撃があまりにも痛すぎたのと、手術前の緊張からか、涙がぶわっと溢れる。それを見た偉そうな先生みたいな人が代わってくれると、一発で針が入る。こういうふうに入れば、たいして痛くないのにと、上を見ると、いつのまにか現れていた手術着のボンボンが私の顔を覗き込んでいた。酸素マスクを付けると、点滴から麻酔薬が入って来たようだ。麻酔医が私に「麻酔薬入りましたよ」と話しかけてきたが、すでに呂律がよくまわらない。「そうですね。もう寝てしまいそうです」とふごふご答えると、「じゃあ、一緒に20まで数えましょうか」と言われたが、「いち……」までしか覚えていない。

気がついたら、回復室にいた。
看護師さんとの会話は覚えているのだが、記憶がとぎれとぎれで、覚醒したり、寝たりを繰り返していた。体が動いたかどうかはほとんど覚えていない。この時点で痛みというのはあまりなく、寝て、覚めてを繰り返していたことを覚えている。だというのに、人間というのは不思議なもので、しっかりとした会話をしようとするようだ。私も例にもれず、「手術は何時に終わったのですか?」「リンパ節は取ったのでしょうか?」と、ぼやけた意識の中で、真面目な口調で質問をしていたことを覚えている。なんども寝たり覚めたりをくりかえしていると、病室に戻ることになった。

手術は予定どおり、10時30分ごろ終わったと言われていたが、病室にもどったのは、12時を回っていた。傷口がかなり痛んできたので、看護師さんに痛み止めの点滴を入れてもらっていると、両親と兄夫婦、友人が病室にやってきた。ここでもまだ寝たり覚めたりを繰り返しているのに、やはりまともな会話をしようとする。しかし、どうみてもまだ覚めきってないだろうし、私がとりあえず元気そうなことを確認すると、皆でお昼ご飯を食べに行き、その後病院を後にしたようだ。

午後になると、意識もはっきりしてきた。腕は動くのかなと、もそもそやってみると、右も左も動く。左はさすがに手術をしているので、大きく動かすのが怖いのだが、きちんとどちらの手も顔の位置まで上がることを確認して、枕元に時計代わりに置いて帰ってもらったiPhoneを使い始める。おお、意外と大丈夫そうだ。右手は点滴の針が入っているので、気をつけながら、TwitterやLINEの返信などを書いてみる。ただ、まだ麻酔が覚めきってないようで、視野が狭い感じ。足には、エコノミー症候群を防止するためのマッサージ機が付いていて、プシューっとうるさい。さらには、尿道にカテーテルが入ってるので、まったく尿意を感じない(これは本当にびっくりした)。あとは、酸素マスクのようなものが口に付いているが、息苦しさみたいなものはない。そして、腰がとにかく痛くなってきた。

数時間に1回、看護師さんが点滴を交換に来る。その際に腰が痛いと言うと、寝返りを大きくするように指示されるが、さすがに左側に転がるのが怖い……。が、同じ姿勢でいると、とにかく腰が痛くて痛くてたまらない。右にはすぐに転がり始めたのだが、やはり一方向だけだとすぐに腰が痛くなるので、意を決して左に転がってみると、あれ?!思ったより痛くない。ええーっと思ったが、同じ姿勢でいることの方が腰に来るので、ゴロゴロとベッドの上で転がり続けていた。

夕方になると、回診でボンボンがやってきた。ボンボンは私が「パッチリ」目覚めているのを確認して、酸素マスクを外してくれる。そして、看護師さんと同じく思いっきり寝返りを「ゴロン」とすることを指示し、水を「ゴクゴク」飲むと吐いてしまうので、喉が渇いたら氷を「カリカリ」食べるように告げて去って行った。このあたりから気がついたのだが、ボンボンは擬音語や擬態語がとても好きなようで、何かを説明するごとに、擬音語や擬態語を多用する。たぶん、患者さんに対して分かりやすさと親しみを出すために、自然にそういう語彙を使ってしまうのだろうが、これに気がついてからは、会話中にわき上がる笑いを我慢するのが大変だった。今、思い出しただけで、お酒を「ガバガバ」飲む、タバコを「スパスパ」吸う、お風呂に「バシャン」と入る、などなど。日本語らしい表現なので、とてもよいのではないかと思います(棒読み)。

そして夜。昼間に寝たり起きたりを繰り返したことで、まったく眠くならない。しょうがないので消灯後にこっそりと、手元のiPhoneでマンガを読み始める。入院する前に購入しておいたマンガ『深夜食堂』だ。すると、今度はお腹が空いてくる。点滴を昼間から5本以上していて、不思議なことに喉は乾かない。しかし、このマンガに出てくる食べ物は、とても日常的な普通の食べ物(赤いタコさんウィンナーだとか、目玉焼きが乗った焼きそばだとか)で、見ているだけでお腹が空く。これがフランス料理など、ちょっとでも現実から離れていれば、それほど食欲に直結しなかったのかもしれないが、庶民的な食べ物が出てくるマンガはまずかった(笑)。

事件は夜中に起こる。空腹を我慢しながら深夜食堂を読み、大きく寝返りをしたそのとき。
手元からiPhoneが離れ、隣の方のベッド下に放物線を描いて落ち、転がって行った。
なんてことだ。これこそ、マンガみたいな風景。

さすがに、ナースコールはできずに眠れないまま、やることもなく、寝返りを数時間(恐らく。時計がないのでわからず)繰り返していると、明け方にやっと少し眠れた。

2013年4月2日火曜日

入院と手術3(手術前日)

入院当日は、手術の術式を決めて、同意書を書いて終わり。恐らく、乳がんの手術は元気ならば手術の前日入院でもいいはずなんだが、ボンボンは手術前日の曜日は毎週他の病院でアルバイトをしているという私の人肉搜索(中国語のネットスラングなんですが、いわゆるネットなどで個人情報をあさるという意味)により、この大学病院にいないことが判明してるので、手術の2日前の入院とさせて、同意書を書かせたのであろう(でも、口が裂けてもそんなことは言えないが)。

そのために1日分多く差額ベッド代がかかっているということを、ボンボンはぜひ知っておくべきである。その金額は、恐らくこの先の放射線治療が2回受けられる金額相当であることを。なお、ボンボンが1回アルバイトをすることで、懐に入ってる金額は毎回8〜10万円相当であろう。週1回の外来バイトを担当することで、1ヶ月のバイト代総額は普通の人の月給以上であり、これだけ稼げるのが医者という職業のなせるワザである。

入院したその日は、同意書記入後は本当に何もやることがなくなってしまい、担当の看護師さんに「明日の夕方の麻酔医と手術室看護師の回診に間に合えば、外泊しても構いませんよ」と言われてしまった。が、高い差額ベッド代を払っているのに、泊まらないなんてもったいない!という母の言葉につられ、泊まることにした。消灯は9時。眠れるかなーと思ってたけど、意外にぐっすりと眠ってしまい、起きたら翌日の朝5時であった。なんて健康的な!

「●●教授の回診が始まりますので、病室でお待ちください」

朝食を食べていると、放送が入った。そう、大学病院ならではの、教授回診である。
教授とその取り巻きが隣の方と話している間に、取り巻きの1人が私の所にきて「●●先生の診察があるので、お胸を出していただけますか〜?」と。おお、そうだったのかとお胸(むしろ乳)を出してるところに、●●教授、登場!教授+乳腺外科の先生数人(ボンボンはバイトなのでいないw)+研修医的な数人でぐるりとベッドを囲んで、上から覗き込まれる(うわ、沢山の視線が上から集まるってすごい光景だ……)。そこでぺろんと乳を出してる私。あまりにも自分の姿が滑稽で、笑いそうになりつつも、こらえる。

教授「おはようございます!(と私に挨拶)所見は?(と研修医に)」
研修医「ほにゃらら(たぶん左乳がん的なことを言ったみたい)で明日オペです」
教授「どの領域?」
研修医「えっと……」
教授「だめだよすぐ答えられないと、キミの担当でしょう?」
��お、ダメだしされてる。がんばれ!若者!ちなみに左C領域です)
教授「じゃあ、ちょっと触らせてくださいね。あれ?触れないね」
先生「私も昨日、初めてエコー見たんですけど、あれ?わからないですね」
研修医「……わかりません」
教授「触れなくても、きちんと画像で出てるので、安心してね!」

安心っていうか、3人触って誰もわからないって、なんじゃそりゃ!という感じですが、私の乳がんは腫瘤が1cm程度すでに形成されていると画像では判断できるにも関わらず、触っても本当にわかりにくいものだった。最後まで、自分で探してみても、どこにあるかがわからないままだった。診断をしてくれたクリニックは一切触診をしない方針だったので(それはそれで正しいのだが)、触ってわかった人というのはボンボンただ1人だけ……私の乳がんを触れたのがよりによってボンボンだけなのかと思うと、ちょっと悲しいものがあったり。

朝ご飯を食べたらすぐに眠くなってしまい、ウトウトしてると昼ご飯、そして食べたあとはあまりにも暇だったので、速攻外出届けを出して、家に忘れ物を取りに帰り、夕方病室に戻ると、突然古くからの友人がお見舞いにやってきた。確かに友人には入院する病院を知らせておいたけど、まさかお見舞いに来るとは思ってなかったので、かなりびっくりしたのだが、人には話せなかった手術前の本心を聞いてもらえて嬉しかった。

友人が帰ってからシャワーに入ると、すぐに消灯の時間。しかし、眠れない。どうやら非常に緊張してるようで、寝付けないのだ。さすがに0時を回りそうになるとまずいと思い、見回りに来た看護師さんに「どうしても眠れない」と話して睡眠導入薬を処方してもらい、それを飲んだら結構あっさり眠れた。

上の写真は、手術前の説明で使ったもの。私が診療を受けている大学病院では、こういう資料を使って説明してくれる。一応、この資料は病院オリジナルみたいだけど、どこでもこんな感じなんだと思う。絵の部分は、どこにどれぐらいの腫瘤があって(ここにも12mmって書いてある)、どのくらいの範囲を切り取って、センチネルリンパ節生検をしますよ、という内容。結構リアルなんですが、なかなか見る機会もないと思うのでご参考まで。
ちなみに、上の方にある落書きみたいなのは、一番左が通常の乳がん(いわゆる浸潤性乳管癌)の形、真ん中の平たい丸が私の小葉癌の形。なぜ私の乳がんが、触診で触れにくいのか、広がってる可能性がどうしてあるのかを説明してくれた。一番右が、傷の形と傷の位置。本当にこんな感じになるのかな……。

2013年4月1日月曜日

入院と手術2(入院当日)

入院の当日。午前11時前に入院する病棟へ向かう。

入院の当日の夕方に術式などを含めた相談をもう一度するという予定だったのだが、入院する数日前にボンボンから電話がかかってきて、どうやら入院してすぐに時間が取れそうなので、夕方まで待っていただく必要はなくなりました、とのこと。親切なのか、なんなのか、実はよくわからなかったけど、その相談の時間は、手術の同意書を書くために家族の立ち会いが必要だったから、立ち会ってもらう母にとってさらに都合がよくなり、内情は知らないくせに、タイミングが良い申し出であった。

入院手続きが終わって指定された病室に行き、荷物を整理していると、ボンボンが呼んでるからと看護師さんが私と母を外来センターまで連れて行ってくれた。私が診療を受けている大学病院の全体はとても大きいが、その中でも入院した病棟はとても分かりにくく、古くて暗い。外来センターは最近作られた建物で、その中央が吹き抜けていて明るい。入院した病棟と外来センターの間は、ガラス張りの長い渡り廊下のようなもので結ばれていて、入院している間は古くて暗い病棟にいるのが嫌で、体が動かせる時期は何度もここを歩いて用もないのに外来センターに行っていた。実際にこの渡り廊下は、術後などのリハビリにも使われているようだった。

外来センターにいくと、ボンボンが待っていて、乳房のエコー(超音波)検査をもう一度やるという。基本的に大学病院なので、エコーの検査をしている間中も、まわりで3人ぐらいの若手の医師(たぶん研修医)が見ていて、なるほど、これが教育の場ってやつかと、かるい視線の洗礼を受ける。しかし、この教育の「場」は、教授回診というイベントにて、最高潮を迎えることになる。

エコー検査のあとは診察室にて、術前最後の相談。あっさりと乳房温存術でお願いしたいと私が言うと、ボンボンはちょっと拍子抜けしたようだった。もちろん、そこに至るまでの思考の道筋があっての選択なんだけど、そんな話はここでは不要なのでどうでもいい。実際の傷の位置や長さ、部分切除後の乳房の形をもう一度説明してもらったけど、やっぱりボンボンの説明はよくわからなかった。内容は総じて、切除位置から考えると、まわりの脂肪(切除位置付近には、実は結構脂肪があるとのこと)を集めることで、乳房は丸くなる、ということだった。うーん。その丸というのは、元の形に沿って丸くなるのか、単に丸くなるのか、なんなのかよくわからないと思ったけど、すでに、ボンボンに説明してもらっても、私自身が納得できる答えをここで出すことは間違ってると結論付けていたので、術式はこれにて決まり。

その後、手術に関して、もう一度説明してくれたが、ちょっとその内容が変わっていた。

・再手術になる割合は10人に2人弱(お、少し少なくなった。実はこれ19%なはず)
・MRIとPET、エコーすべての画像で同じように腫瘤が描かれているが、その場合は所見通りなことが経験上多い
・ただし、小葉癌によくある形をしているので、頭の片隅に「再手術」という言葉を置いておいてほしい
・腫瘤径は最大12ミリぐらい(診断時より3ミリぐらい大きいかもしれない)
・触診と画像上では、リンパ節への転移は認められないが、センチネルリンパ節生検の結果、転移があった場合はリンパ節を廓清する

ここまで聞いて、ボンボン、すごい説明の内容が進歩してる!私が前回噛み付いた「20%の再手術は多い!」を、しっかりとカバーした説明になっている!と感動した。私が不安に思っていたことに対して、実際の数値と自分の経験、そして可能性を用いることで、過不足ない説明に進化させていた。オドオドしてるし、うっかり発言も多いけど、ボンボンに治療をお願いしよう!という気になったのは、これが理由だ。私がなぜ噛み付いたのかを理解しようとしてくれた姿勢が見えたからだ。

ただ、乳房の審美的な話は、最後までよくわからなかったんだけど……ね。